仏像への謝表
- 姚嵩、興の弟。鎮西将軍秦州刺史から司空に至り安成侯に封じられた。経典に心を寄せ仏道に専心していた。興は皇后の遺品である真珠の仏像を嵩に賜り、嵩は上表して深く感謝し、仏像を拝む喜びを述べた。
興との仏教論争
- 興はまた嵩に書簡を送り、かつて自らが摩訶衍(大乗)の諸義を条書きにまとめ鳩摩羅什と共に検討しようとしていたが、什の死去や相次ぐ戦乱で中断していたことを述べ、久々にその草稿を見つけたので嵩に送り意見を求めた。
- 嵩はこれに応じ上表し、興の仏教理解の深遠さを称賛しつつ、いくつかの教義上の疑問を呈した。主な論点は、大乗仏典にいう「無所住(とらわれのなさ)」と般若の「不住」の教えの関係、「無為」を宗とする道の本体は何か、六度(六波羅蜜)における「無著」と「不即真」の関係、光明神変(仏の放つ光や神通力)が凡夫にも及ぶのか菩薩だけに限られるのか、といった問題であった。嵩は『中論』や『阿含経』『華手経』『思益経』『法華経』『般若経』『浄名経』などの経文を引きながら論じた。
- 興はこれに丁寧に答え、光明神変は本来菩薩に応じたものであり、凡夫が余波として恩恵を受けるのは蠅が驥(駿馬)の尾に付いて千里を行くようなものだと説明し、また「不住」の教えは布施における施す者・受ける者・財物のいずれもが不可得であることを示す「破著」の教えであると論じ、無為の道は生死流転の根本である欲を断つことにあり、涅槃とは神を潜めて空と一体化した境地であって、そこにあえて「名」を立てることすらできない、と述べた。また『中論』の二諦説を引き、有無いずれかに偏らず両者を兼ね抱くのが聖人の道であるとし、諸家が説く「第一義は空寂であり聖人すら存在しない」という説には同意できないとの見解を示した。
- 嵩は再び上表し興の教示に深く感謝し敬服の意を表した。興も返書し、自らの見解は浅学ながら嵩が仏法を好むことに応じて述べたにすぎないと謙遜した。嵩は当時上邽に出鎮していたが、泓の永和元年、氐の王・楊盛と対峙した際、盛に殺された。