十六国春秋後燕錄十 賈彞

父の冤罪を雪いだ神童

  • 賈彞、字は彦倫。元は武威姑臧の人。六世祖の敷は魏の幽州刺史広川都亭侯で、子孫はそのまま広川に住み着いた。父は前秦の苻堅に仕え鉅鹿太守となったが誹謗の罪で投獄され、彞は十歳で長安に赴き父の冤罪を訴えて雪ぐことに成功し、遠近の人々は「この子は英俊、賈誼の後裔として並ぶ者なし」と称賛した。弱冠にして垂に仕え遼西王農の記室参軍となり、北魏の太祖もその名を聞いて招こうとしたほどであった。垂はますますその器量を重んじ寵愛を加え、驃騎長史・昌黎太守を兼ねさせた。垂が太子宝に魏討伐を命じると参合で敗れ、彞と従兄の代郡太守潤らは捕らえられたが、数年後に脱出して戻った。その後また屈丐に捕らえられ、六十歳で没した。