十六国春秋後燕錄十 髙湖(弟の恒、恒の弟の韜)

対魏戦への諫言と北魏への帰順

  • 髙湖、字は大淵。父の泰は吏部尚書中書令。湖は幼少より機敏で度量があり、弟(一に兄とも)の韜と共に当世に名を知られ、郷里の崔逞から特に敬愛された。若くして顕職を歴任し散騎常侍となった。垂が太子宝らに魏討伐を命じた際、湖は垂に「魏と燕は代々婚姻を結ぶ友好国であり、和好は長年続いてきました、拓跋は雄略に富み謀に長け、あらゆる艱難を経験してきた人物、その兵は精強で軽んじるべきではありません、皇太子はまだお若く敵を侮り勝ちを急ぐ傾向があり、単独で軍を委ねるのは危険です」と切々と諫めたが、垂は怒り湖を免官した。果たして宝は参合で大敗した。
  • 宝が即位すると湖を征虜将軍燕郡太守に起用したが、宝が和龍へ逃れ兄弟が争うようになると、湖はその衰退と混乱を見て戸三千を率いて北魏に降り、寧西右将軍に任じられた。

弟・恒と韜

  • 湖の弟・恒、字は叔宗は垂に仕え鉅鹿太守となり、戸二千を率いてやはり北魏に降った。恒の弟・韜は若くして英明の誉れが高く、同郡の封懿もこれを深く敬っていた。垂に仕え太尉従事中郎となり、北魏が中山を平定すると丞相参軍に任じられたが早世した(湖はすなわち北斉の献武王高歓の高祖にあたり、詳しくは『北斉書』に見える)。