十六国春秋後燕錄九 寶后段氏
幼い太子と皇后冊立
- 宝の后・段氏は遼西鮮卑人で前将軍段璣の叔母にあたる。当初昭儀として迎えられ子の策(字は道符)を生んだ。策は諸子の中で最も年少であったが、宝は殊のほか寵愛し濮陽公に封じた。十二歳で容姿は美しいが愚鈍で聡明さに欠けていた。当時宝の後継はまだ定まっておらず、太子を立てようとしたが、垂の意向は清河公会にあり、宝自身は会に乗り気でなく決めかねていた。庶長子の長楽公盛はこれを察知し、策こそ後継にふさわしいと吹聴したため、宝はついに策を太子に立て段氏を皇后とした。後に盛が即位すると段氏を皇太后に尊んだが、長楽二年冬十一月丁未に没し、恵徳皇后と諡され、策は献哀太子と追諡された。