巫蠱の冤罪と獄死
- 垂の先の后・段氏は遼西鮮卑段末杯の娘。垂が呉王であった時に王妃に立てられ、子の令宝を生んだ。段氏は才知に優れ気性も激しく、自らの高貴な家柄を誇り太后可足渾氏に礼を尽くさなかったため、渾氏はこれを恨みに思い、儁もかねて垂を快く思っていなかった。中常侍の湼皓は儁の意を汲んで段氏と呉国典書令の遼東の高弼を巫蠱の罪で告発し、垂まで巻き込もうとした。段氏と高弼は大長秋・廷尉のもとで取り調べを受けたが、二人とも志を曲げず最後まで屈服しなかった。拷問は苛烈を極め、垂はこれを哀れみ密かに人を遣わして段氏に「これほどの苦しみに耐えられようか、いっそ認めてしまってはどうか」と伝えさせたが、段氏は「私が死を惜しむとでも思うのか、無実の大逆を自ら認めれば上は祖宗を辱め下は王に累が及ぶ、決してそのようなことはしない」と嘆き、弁明はますます明晰になり、そのおかげで垂は禍を免れたが、段氏はついに獄中で死んだ。
- 垂は平州刺史として遼東鎮守に戻ると、段氏の妹を後添えに迎えようとしたが、可足渾氏はこれを退け自らの妹・長安君を垂に嫁がせた。垂はこれを喜ばず、渾氏はますます垂を憎み密かに殺害を謀ったため、垂はついに前秦へ亡命した。即位後、段氏を成昭皇后と追諡した。