十六国春秋前秦錄十 王兗

生涯

  • 王兗、本来新平の氐族。堅に仕えて中山太守となり、博陵を固守し秦のために燕を防いだ。丕の即位後、兗を平州刺史とした。これより先、慕容麟が兗を博陵に攻め、この頃には兵糧が尽き矢も尽き、功曹張猗が城を越えて脱出し衆を集め麟に呼応した。兗は城壁からこれを咎めて「そなたは秦の民、私はそなたの君だ、そなたが衆を挙げて賊に呼応しながら義兵と称するとは、名と実がこれほど乖離しているとは何事か、そなたの兄はかつて郷里の宗親を集め城主を追い出したが天地に許されず世の大戮となり身を滅ぼしてまもないのに、そなたはまたこれを繰り返すのか、そなたは私の吏として仕えていながら親しく干戈を執り真っ先に戎首(叛乱の首謀者)となる、そなたの君主となる者はなんと難儀なことか、古人も言う、忠臣を求めるなら必ず孝子の門から出るものだと、そなたの母は城内にいるのにこれを棄てて顧みない、どうして忠義を望めようか、そなたは老母を脱ぎ捨てた履物のように棄てた、私はもう何も言うことがない」と述べた。まもなく城は陥落し、兗と固安侯鑒はいずれも麟に殺された。