十六国春秋前秦錄十 法喜

生涯

  • 法喜、兜佉勒の人。幼くして俗を離れ聡慧早熟、経典を研鑽し専心して業を修め、三蔵に遍く通じ『増一阿含』『難経』を暗誦するほど博識であった。国内の遠近の人々はみなこれに服した。若くして諸国を遊歴し、弘法の本義が広まっていないと考え、遠く流沙を渡り道を懐いて東は秦に入り、建元中に長安に至った。学業は優れ道声も盛んで、堅は深くこれを礼遇した。
  • これより先、中国には四阿含がまだなかったが、堅の武威太守趙整が経典を求めて出そうとした。折しも慕容冲がすでに叛いて挙兵し堅を攻め関中が動揺していたが、整は仏法への思いが深く身を顧みず道のために尽力し、道安公らを長安城中に招いて義学の僧を集め、法喜に『中阿含』『増一阿含』の二経および先に出されていた『毘曇心』『三法度』などを訳出させ、合計百六巻を得た。仏念が伝訳し恵嵩が筆受、夏から翌春に至るまで二年をかけてようやく文字が整った。姚萇の侵攻が関内に迫り人心が危ぶまれるようになると、法喜は西域へ帰ることを願い出て去り、その後の行方は分からない。