十六国春秋前秦錄十 楊定

生涯

  • 楊定(『苻堅伝』には仏奴の孫とする)、仇池公楊纂の一族。父の名は仏奴で、秦に降った。堅はその娘を定に娶わせ、定を尚書に任じ、のちに領軍将軍とした。淮南の敗戦(淝水の戦い)後、関中が混乱すると、定は心を尽くして堅に仕えた。堅の死後、家族を率いて隴右へ逃れ、旧衆を再び集めた。丕の即位を聞いて使者を送り迎え入れると、丕は定を驃騎大将軍・雍州牧とし、治所を歴城に移した(仇池から百二十里)。百頃に倉儲を置き夷夏を招集し千余家を得ると、自ら龍驤将軍・仇池公を称し、進んで天水・略陽郡を平定して秦州の地を領有、自ら秦州刺史を称した。隴西王登の即位後は大将軍・益州牧とされ、まもなく左丞相・上大将軍・都督中外諸軍事を加えられた。のちに乞伏乾帰と戦い敗れて殺された。定に子はなく、叔父仏狗の子盛が先に仇池を守り自ら征西将軍・秦州刺史・仇池公を称した。定は武王と諡された。