十六国春秋前秦錄九 苻雅

生涯

  • 苻雅、堅の疎族。権謀に優れ雄毅で厚重な人柄で、人々はその良将の才を称えた。生の代にはすでに右衛将軍であった。堅の即位後、西県侯に封ぜられ秦州刺史として出された。建元七年(371年)、雅を使持節・都督秦晋涼雍州諸軍事・秦州牧とした。当初、仇池公楊世が地を挙げて堅に降り、堅は平南将軍・秦州刺史・仇池公とした。世が没すると子の纂が代わって立ち、晋の朝廷から爵命を受けて堅との関係を絶った。世の弟統は驍勇で人望があり武都で挙兵し纂と勢力を分け争ったため、堅は雅らに歩騎七万を授けまず仇池を取り寧益に進んで包囲させた。雅が鷲陝に至ると、纂は五万の衆で防戦し、晋の梁州刺史楊亮が督護郭宝に千余騎で纂を救援させたが陝中の戦いで雅に敗れ、纂は残兵を収めて逃げ帰った。雅は進んで楊統を攻め、統は武都の衆を率いて迎え降り、纂の将碩密もまた雅のもとへ赴いて降り内応を申し出た。纂は恐れて自ら縛につき降伏し、雅はその縛を解いて長安へ送った。