十六国春秋前秦錄九 苻詵

生涯

  • 苻詵、堅の末子。中山公に封ぜられ堅に最も寵愛された。堅が群臣と晋への大挙討伐を議した際、詵は「季梁が随にあれば楚人はこれを憚り、宮之奇が虞にあれば晋は兵を出さなかったといいます、国に人材がいたからです、その謀が用いられずに滅んだ例は一年と経ちません、陽平公は国の謀主でありながら陛下はこれに背き、晋には謝安・桓沖がいるのに陛下はこれを討とうとしています、この行いを私はひそかに疑問に思います」と諫めたが、堅は「国には元亀(占い)があって大謀を決することができ、朝廷には公卿がいて進退を定められる、子供が何を言うか、殺されたいのか」と応じ聞き入れなかった。ついに晋に敗れ、堅はのちに新平の仏寺で自縊し、詵もまた自殺した。