武功と太師への昇進
- 慕輿根、榼盧城の大人。騎射に優れ、かつて皝の狩猟に従った際、断崖の上に立つ一頭の野羊を左右の者に射させたが誰も命中させられなかったところ、根が自ら志願して一発で命中させ、皝はこれに驚嘆し帳下折衝将軍に任じた。しばしば奇策を進言した。儁の即位後は広威将軍に転じ、鄧恒を魯口で破り蘇林を中山で斬るなど各地で功を立て、殿中領軍将軍に至った。儁の死後は遺詔を受けて暐を輔け太師に進み朝政を補佐した。
恪への謀反の唆しと誅殺
- 根は性格が頑固で先朝の勲旧であることを恃み、傲慢な振る舞いが多く心中では服していなかった。恪を廃して自らが実権を握ろうと密かに企て、恪に「今、主上は幼く母后が政に干渉している、天下を定めたのは殿下の功だ、兄が亡くなれば弟が継ぐのは古今の常法、山陵(先帝の埋葬)が終われば主上を廃して王としてしまい、殿下自ら帝位に即いて大燕の無窮の福を築くべきだ」と唆した。恪は「公は酔っているのか、何と道理に外れたことを言うのか、私と公は先帝の遺詔を受けたのに、なぜ急にそのような議を持ち出すのか、公は先帝の言葉を忘れたのか」と厳しく退けた。根は大いに恥じ入り謝罪して退いた。
- 恪はこれを呉王垂に告げると垂は根を殺すよう勧めたが、恪は「今は大喪に遭ったばかりで両隣国が隙を窺っている、宰輔が自ら互いに誅殺し合えば内外の期待を裏切ることになる、しばらく忍ぶべきだ」と応じた。秘書監皇甫真も恪に「根は元来つまらぬ小人で先帝の厚恩を過分に受けながら顧命に加わったに過ぎず、国喪以来ますます驕り高ぶり禍乱をなそうとしている、明公は今や周公の立場にあるのだから、社稷のために深く謀り早く手を打つべきだ」と進言したが、恪はなお聞き入れなかった。
- 根はついに武衛将軍慕輿干と共に恪と評を誅して簒立しようと密謀、太后と暐に「太宰(恪)と太傅(評)が不軌を図っている、禁兵を率いてこれを誅し社稷を安んじたい」と讒言した。太后がこれに従おうとすると、暐は「二公は国の外戚で先帝が孤婺(幼帝と未亡人)の後事を託した人物だ、そのような真似をするはずがない、むしろ太師(根)こそ乱を為そうとしているのではないか」と述べこれを止めた。根はまた東方への望郷を口実に太后と暐に東への遷都を進言したが暐もこれを容れなかった。かくして根の謀反の兆しは次第に露見し、恪はこれを聞いて太傅評と密かに根の罪状を上奏、根は誅殺され妻子ともに東市で梟首されたという。