十六国春秋前燕錄九 宋該

廆への帰順

  • 宋該、字は弘宣、平原の人。同郡の劉翔・杜羣と共に先に王浚を頼り、次いで段氏を頼ったがいずれも頼るに足りないと見て、諸流寓の士と共に廆のもとへ帰った。廆は龍驤主簿に挙げ、のちに右長史に転じた。廆が車騎将軍に任じられた当初、該らは「廆は一隅で功を立てながら位は低く任は重い、これでは華夷を鎮められない」として共に上表し官爵の進位を求めたが、朝廷はこれを許さなかった。

貪欲さを咎められる

  • 皝の即位後、承乾殿で群臣を饗した際、該が貪欲な性格であったため、賜った布百余疋を自ら背負って帰らせ、その重さに耐えかねて倒れ込むほどであったことでその恥を悟らせたという。のちに遼東内史に遷り、侍郎韓偏から賄賂を受けて孝廉に推挙したが、皝はこれを咎め「孝廉とは道徳沈着な人物を朝廷に推挙するものだ、韓偏は叛乱に加担し頑迷な罪があるのに、王の威が討伐に臨むと城に拠って口汚く罵った、これは甚だしい悖逆というべきだ、なぜこのような者を推挙したのか」と詔して該を四年の刑に処し、偏は賄賂で栄進を求め王法を乱した罪で官を免じ終身禁錮とした。