十六国春秋前燕錄八 景昭可足渾氏
太后としての専横
- 儁の后、可足渾氏は尚書令豊章公翼の従姉であった。儁の元璽二年、皇后に立てられ、暐が即位すると皇太后に尊ばれ国政にもたびたび関与した。猜疑心が強く、垂が呉王として威名高いのを深く忌み嫌っていた。垂の妃・段氏は名門の出であることを誇り太后に礼を尽くさなかったため、太后は恨みを抱き巫蠱の罪を着せて拷問の末死に至らしめた(詳細は「段氏伝」に記されている)。
- 垂が枋頭の戦いで戦功を挙げ威名がさらに高まると、太后はますます不満を募らせ太傅評と密謀して垂を誅殺しようとし、垂は恐れて前秦へ亡命した。まもなく太后は没し、景昭皇后と追諡され烈祖(儁)に配祀された。後に垂が皇帝を僭称すると、可足渾氏が社稷を傾けようと謀った罪により配祀にふさわしくないとして退けられ、代わって昭儀の段氏を景徳皇后に尊び烈祖に配祀し、可足渾后の位は追って廃された。