十六国春秋前燕錄八 文明段氏

皝の后としての生涯と配祀をめぐる論争

  • 皝の后、段氏は鮮卑人で単于段国の娘であった。当初夫人として迎えられ、東晋の咸康初め(335年頃)皝が王位に即くと王后に冊立され、儁が皇帝を称すると文明皇后と追諡され太祖(皝)に配祀された。
  • 後に垂(慕容垂)が皇帝を僭称すると、生母の蘭氏を文昭皇后に尊び、段氏を別室へ遷して蘭氏を配祀しようとし、百官に議論させたところ皆これを当然とした。しかし博士の劉詳・董謐は「堯の母は帝嚳の妃で位は第三であったが、身分の貴賎によって上に立つことはなかった、聖王の道は至公を第一とする、文昭后は別廟を立てるべきだ」と論じた。垂は怒って強要したが、詳・謐は「陛下のなさりたいことに臣下がとやかく言うことではないが、私どもは経書に照らし礼に従う以上、二つの立場を持つわけにはいかない」と応じたため、垂はそれ以上諸儒に問うことをやめ、結局段后を遷し蘭氏を太祖に配祀した。