十六国春秋後趙錄十二 郭敬

石勒との旧縁

  • 郭敬、字は季子、鄔の人。石勒が微賎であった頃から交わりがあり、衣食を厚く給していた。東瀛公司馬騰が山東で諸胡を捕らえ軍実として売った際、勒もその中にいたが、敬は勒を族兄の陽陽らに託して免れさせた。
  • のちに勒が苑郷を襲い上白で降兵を穴埋めにしようとした際、敬を見つけ「そなたは郭季子か」と問い、敬が頷くと勒は馬を下りその手を取って涙し「今日相まみえるとは天の配剤か」と述べ、衣服・鎧馬を賜り上将軍に任じ、降兵を全て赦して敬に付けた。

荆州平定

  • 荆州監軍使として襄陽を攻めた際、勒の指示で樊城に退いて旗を伏せ人がいないように装いつつ、数日後に大軍が来ると相手を油断させる策を用いた。晋の南中郎将周撫はこれを見て勒の大軍が来たと恐れ武昌へ逃げ、敬は無血で襄陽に入り百姓を安堵させた。中原の流民もこぞって勒に降り、晋の別将魏遐も兄該の部衆を率いて石城から降った。敬は襄陽を破却し百姓を沔北の樊城に移してこれを守らせ、荆州刺史に任じられた。