出自と寵愛
- 鄭氏、名は桜桃、晋の冗従僕射鄭世達の家の妓女であった。多くの下賤の妓女の中にあって、虎はしばしばその容貌を太妃に語り、太妃はこれを虎に与えたところ甚だしく寵愛され惑溺し、太子邃・東海王宣・彭城王遵を生んだ。虎が魏王を称すると鄭氏を魏王后とし、天王に即位すると天王皇后に立てられた。太子邃が讒言と暴虐のかどで誅殺されると鄭氏は廃されて東海太妃となった。性格は甚だ讒言深く嫉妬深かった。
郭氏・崔氏への迫害
- これより先、虎が中山を落とした際、征北将軍郭栄の妹を娶り妻としたが互いに敬い合い子はなかった。鄭氏は讒言してこれを殺させた。改めて清河の崔氏の娘を娶り、鄭氏は男児を産んでいたが崔氏がこれを養育したいと申し出ても許さず、一月あまりでその子は急病死した。鄭氏はさらに崔氏を讒言し「妾は胡族の子を多く養おうとしている」と言った。虎はちょうど庭で胡床に踞していたが激怒し弓矢を求めた。崔氏はこれを聞いて殺されると悟り、裸足のまま前に至り「殿、どうか妾を無実の罪で殺さないでください、どうか妾の言い分をお聞きください」と訴えたが、虎は聞き入れず「早く席に戻れ、お前には関わりのないことだ」とだけ言った。崔氏がそのまま立ち去ろうとすると、虎は背後からこれを射て、崔氏は腰に矢を受けて死んだ。
皇太后への尊崇とその末路
- その後、虎が死に石氏が大いに乱れると、遵は世を廃して自立し、鄭氏を皇太后として尊んだが、まもなく冉閔に殺された。