十国春秋卷一百十一 十國地理表上 前蜀後蜀管内州県沿革

要約

前蜀・後蜀の管内州県沿革では、成都府を中心に漢・彭・灌・蜀・綿・眉・嘉・劔・梓・遂・果・閬・普・陵・資・榮・簡・卭・黎・雅・維・茂・文・龍・黔・施・䕫・安・忠・萬・興・利・開・通・涪・渝・瀘・合・昌・巴・蓬・集・壁・渠・潾・戎の四十余州と興元府・洋州・源州が列挙され、各州の管轄県とその新設・改称の由来が注記される。通計県は什邠県民が銅牌を献じたことに由来し、瑞金・永康・唐興・彰明・清江・唐化(彭山)などの県名は、梁・唐・晋がしばしば天子の廟諱を避けて改称を命じたものの、蜀はすでに中原の号令に従っておらず孟氏らが実際には従わなかった例が多いことも繰り返し指摘される。安州はもと雲安県で雲安監を経て前蜀の永平年間に州へ昇格し、黎州には前蜀の高祖が木瓜関を築いたことも記される。維州の保寧県はもと薛城県で孟蜀が改称し、資州内江県は前蜀と後蜀とで治所が盤石・内江の間を往復した経緯も注記される。梓州塩亭を分けて置かれたとされる東関県は実は後蜀ではなく宋の乾徳年間の新置であるとする考証も付される。開州・通州・巴州・蓬州・集州・壁州・渠州など東部の諸州は多くが九県前後の旧県を領するのみで大きな改称は少なく、興元府(梁州)・洋州は北方の要地として五県前後を領した。

灌州・潾州・源州のように設置年代や存廃が判然としない州もあり、著者は『資治通鑑』『旧五代史』『輿地広記』などを引いて考証する。灌州は前蜀の武成元年にすでに見えるため後蜀に始まるものではないと論じ、潾州はもと唐の潾州が廃されて潾山県となった地に蜀が再置したとされ、源州は蜀が武定軍に属させて置いたが早く廃されたと推定される。金州および秦・鳯・階・成の四州は、もと岐の領有から前蜀の高祖が攻め取り、後唐が蜀を破ると再び失ってなお秦・鳯・階・成の四州のみを得、後漢の初めに蜀へ復し、最終的に後周の世宗に奪われたという帰属の転変を記す。秦州は成紀など五県、鳯州は梁泉など四県、階州・成州はそれぞれ二県のみを領し、成州は梁の代に汶州と改められたが後唐が旧に復した。通州は『宋史』地理志によれば宋の乾徳年間に逹州と改められたとする異説も付す。

現代語訳全文

前蜀・後蜀管内州県沿革

成都府(益州。十県を領する)

所管:成都(旧県)/華陽(旧県)/郫(旧県)/犀浦(旧県)/新都(旧県)/温江(旧県)/新繁(旧県)/双流(旧県)/霊池(旧県)/広都(旧県)

漢州(五県を領する)

所管:雒(旧県)/徳陽(旧県)/通計(もと什邠県。前蜀の永平元年、県民の郭迥が銅牌を献じたことから通計と改めた)/緜竹(旧県)/金堂(旧県。『冊府元亀』を案ずるに、晋の天福七年に漢州金堂を漢城と改めたとあり、これも名目だけの遙かな改称であろう)

彭州(四県を領する)

所管:九隴(旧県)/導江(旧県)/濛陽(旧県)/唐昌(『五代会要』は「梁の開平年間に唐昌を帰化県と改め、後唐の同光元年十月に唐昌に復した」と言う。『冊府元亀』は「晋の天福七年、彭州の唐化を彭山と改めた」と言うが、この時すでに蜀は梁・晋の号令に従っておらず、邑名の改称は名目上の美称に過ぎない。また彭州には唐化県はなく、眉州に彭山県があるので、この間には誤りがあり、あるいは改名しなかったのかもしれず、詳らかにしがたい)

灌州

(『郡県釈名』を案ずるに、後蜀が導江の灌口鎮に灌州を置いたとするが、前蜀の武成元年に灌州が「武部郎中の張道古が卒した」と奏上した記録があるので、灌州の名はすでに久しく、後蜀に始まるものではないはずである。また『宋史』地理志は「導江県灌口鎮は唐が鎮を置いた」と言う。)

蜀州(五県を領する)

所管:晋原(旧県)/青城(旧県)/永康(『文献通考』は「前蜀が青城を分けて永康軍を置いた」と言い、『輿地広記』は「永康県はもと青城県の横渠鎮で、後蜀の広政中に永康県を置き蜀州に属させた」と言う。両書を合わせて判断すれば、王氏(前蜀)の時は軍であり、孟氏(後蜀)の時は県であったと思われる)/唐興(『輿地広記』は「唐の光天元年に唐安と名づけ、後にまた唐興とした」と言う。『五代会要』は「梁の開平二年八月、唐興を陶胡県と改めた(前蜀の武成元年に当たる)。後唐の同光元年十月に唐興県に復し、晋の天福七年に廟諱を避けて唐興を郷城と改めた」と言うが、これは後蜀の広政五年に当たり、この時晋が名目上改めたに過ぎず、孟氏が必ずしもこれに従ったわけではない)/新津(旧県。『唐書』地理志にすでにこの県が見えるので、『宋史』地理志が「新津はもと唐の唐安県で、開宝四年に改めた」というのは正しくない)

綿州(八県を領する)

所管:巴西(旧県)/彰明(もと昌明。前蜀はこれを踏襲したが、後唐の同光の時、廟諱を避けて彰明と改めた。後蜀は今の名に従った)/魏城(旧県)/羅江(旧県)/神泉(旧県)/龍安(旧県)/塩泉(旧県)/西昌(旧県)

眉州(五県を領する)

所管:通義(旧県)/彭山(旧県)/青神(旧県)/丹稜(旧県)/洪雅(旧県)

嘉州(七県を領する)

所管:龍游(旧県)/犍為(旧県)/玉津(旧県)/夾江(旧県)/平羌(旧県)/羅目(旧県)/綏山(旧県)

劔州(九県を領する)

所管:普安(旧県)/武連(旧県)/陰平(旧県)/梓潼(旧県)/黄安(旧県)/劍門(旧県)/臨津(旧県)/永帰(旧県)/普成(旧県)

梓州(八県を領する)

所管:郪(旧県)/射洪(旧県)/通泉(旧県)/塩亭(旧県。『輿地広記』を案ずるに、蜀が招葺院を塩亭に置いたとあるが、『文献通考』は招葺県に作り、誤りかと思われる。また蜀の明徳初年に塩亭を分けて東関県を置いたとする説もあるが、宋の乾徳四年に静戍軍を改めて東関県を置いたのであり、後蜀が置いたものではない)/飛烏(旧県)/𤣥武(旧県)/銅山(旧県)/永泰(旧県)

遂州(五県を領する)

所管:方義(旧県)/青石(旧県)/長江(旧県)/蓬渓(旧県)/遂寧(旧県)

果州(五県を領する)

所管:南充(旧県)/相如(旧県)/岳池(旧県)/流渓(旧県)/西充(旧県)

閬州(九県を領する)

所管:閬中(旧県)/蒼渓(旧県)/晋安(旧県)/西水(旧県)/奉国(旧県)/南部(旧県)/新井(旧県)/新政(旧県)/岐平(旧県)

普州(六県を領する)

所管:安岳(旧県)/安居(旧県)/普康(旧県)/楽至(旧県)/崇龕(旧県)/普慈(旧県)

陵州(五県を領する)

所管:仁寿(旧県)/貴平(旧県)/井研(旧県)/始建(旧県)/籍(旧県)

資州(八県を領する)

所管:盤石(旧県)/資陽(旧県)/内江(旧県。『内江志』は「唐の初め県治は内江にあったが、後に盤石に移り、王蜀(前蜀)の時にまた内江県に移り、孟蜀(後蜀)は盤石に戻した」と言う)/銀山(旧県)/丹山(旧県)/龍水(旧県)/月山(旧県)/隋渓(旧県)

榮州(六県を領する)

所管:旭川(旧県)/威逺(旧県)/公井(旧県)/応霊(旧県)/咨官(旧県)/和義(旧県)

簡州(三県を領する)

所管:陽安(旧県)/金水(旧県)/平泉(旧県)

卭州(七県を領する)

所管:臨卭(旧県)/火井(旧県)/蒲江(旧県)/依政(旧県)/安仁(旧県)/臨渓(旧県)/大邑(旧県)

黎州(木瓜関があり、前蜀の高祖が築いた。二県を領する。)

所管:漢源(旧県。五代の時、もと飛越県があったが漢源に併合された)/通望(旧県)

雅州(五県を領する)

所管:厳道(旧県)/盧山(旧県)/名山(旧県)/百丈(旧県)/栄経(旧県)

維州(二県を領する)

所管:保寧(もと薛城県。孟蜀が今の名に改めた)/小封(旧県)

茂州(四県を領する)

所管:汶山(旧県)/石泉(旧県)/汶川(旧県)/通化(旧県)

文州(一県を領する)

所管:曲水(旧県)

龍州(二県を領する)

所管:江油(旧県)/清州(旧県)

黔州(六県を領する)

所管:彭水(旧県)/黔江(旧県)/杜洪(旧県)/洋水(旧県)/信寧(旧県)/都儒(旧県)

施州(二県を領する)

所管:清江(旧県)/建始(旧県)

䕫州(三県を領する)

所管:奉節(旧県)/巫山(旧県)/大昌(旧県)

安州

(もと雲安県。後に雲安監を置いて䕫州に属させ、前蜀の永平時に安州に昇格させた。)

忠州(五県を領する)

所管:臨江(旧県)/豊都(旧県)/墊江(旧県)/南賔(旧県)/桂渓(旧県)

萬州(二県を領する)

所管:南浦(旧県)/梁山(旧県。屯田務が置かれていた)

興州(二県を領する)

所管:順政(旧県)/長挙(旧県)

利州(五県を領する)

所管:綿谷(旧県)/葮萌(旧県)/益昌(旧県)/嘉川(旧県)/𦙍山(旧県)

開州(三県を領する)

所管:開江(旧県)/万歳(旧県)/新浦(旧県)

通州(九県を領する。『宋史』地理志は逹州に作り、〈宋の〉乾徳三年に初めて逹州と改めたとする。)

所管:通川(旧県。蜀が置いた。租税の督促のための通明院があった)/永穆(旧県)/三岡(旧県)/石鼓(旧県)/東郷(旧県)/宣渓(旧県)/新寧(旧県)/巴渠(旧県)/閬英(旧県)

涪州(五県を領する)

所管:涪陵(旧県)/賔化(旧県)/武龍(旧県)/楽温(旧県)/温山(旧県)

渝州(五県を領する)

所管:巴(旧県)/万寿(旧県)/南平(旧県)/江津(旧県)/壁山(旧県)

瀘州(五県を領する)

所管:瀘川(旧県)/富義(旧県)/江安(旧県)/線水(旧県)/合江(旧県)

合州(六県を領する)

所管:石鏡(旧県。これも晋の天福七年に合州石鏡を仙覧と改めたというが、晋が名目上改めたものと思われ、孟氏が必ずしもこれに従ったわけではない)/漢初(旧県)/赤水(旧県)/巴川(旧県)/銅梁(旧県)/新明(旧県)

昌州(三県を領する)

所管:大足(旧県)/昌元(旧県)/永川(旧県)

巴州(九県を領する)

所管:化成(旧県)/盤道(旧県)/清化(旧県)/曽口(旧県)/帰仁(旧県)/始寧(旧県)/其章(旧県)/恩陽(旧県)/七盤(旧県)

蓬州(七県を領する)

所管:大寅(旧県)/儀隴(旧県)/伏虞(旧県)/咸安(旧県)/大竹(旧県)/良山(旧県)/岩渠(旧県)

集州(四県を領する)

所管:難江(旧県)/道平(旧県)/大牟(旧県)/嘉川(旧県)

壁州(五県を領する)

所管:渃水(旧県)/広納(旧県)/通江(旧県)/白石(旧県)/東巴(旧県)

渠州(五県を領する)

所管:流江(旧県)/潾水(旧県)/潾山(旧県。注に、これもまた潾州となったとある。下を見よ)/大竹(旧県)/渠江(旧県)

潾州

(『資治通鑑』に「魏王〈李〉継岌が興州に至ると、山南節度使の王宗威は梁が開・通・渠・麟の五州を置いたことをもって降った」とある。胡三省の注は「渠州潾山県は、唐の武徳元年に潾州を置いたが、八年に州が廃されて潾山県は梁州に属した。これはおそらく蜀が潾州を再置したのであろう。麟は潾に作るべきである」と言う。)

戎州(五県を領する)

所管:南渓(旧県)/義賔(旧県)/樊道(旧県)/開邊(旧県)/帰順(旧県)

興元府(梁州、また褒州ともいう。五県を領する。)

所管:南鄭(旧県)/褒城(旧県)/西(旧県)/三泉(旧県)/城固(旧県)

洋州(四県を領する)

所管:興道(旧県)/西郷(旧県)/黄金(旧県)/真符(旧県)

源州

(この州の設置の由来は考証できない。『資治通鑑』を案ずるに、蜀の源州都押牙の文景琛が城に拠って叛いたとある。また薛居正『旧五代史』は、後蜀の潘仁嗣が武定節度使・源壁等州観察営田処置使等を授けられたとし、後周の軍が秦・鳯を攻めた際、孟貽業が平利に駐軍して褒源の援けとしたとある。すると蜀は源州を置いて武定軍に属させたことは疑いない。胡三省は「源州はおそらく蜀が置いたもので、まもなく廃止された。これが〈後唐が〉同光年間に蜀を平定した際に、欧陽脩の職方考に見える州が六十四州のうち五十三州しか記されていない理由であり、源州などはおそらくみなその六十四州の数に入るものであろう」と言う。)

金州(五県を領する。後蜀の記録には欠けている。前蜀の記録にも欠ける。金州はもと〈唐から〉全州を得て、その後唐に入り、再びこれを得たが、まもなく晋に入った。)

所管:商城(旧県)/石泉(旧県)/安康(旧県)/洵康(旧県)/淯陽(旧県)/平利(旧県)

秦州(五県を領する。秦・鳯・階・成の四州は、先には岐が有していたが、前蜀の高祖がこれを攻め取った。後唐が蜀を破ると、まもなく再び失い、ただ秦・鳯・階・成の四州のみを得た。〈後〉漢の初め、四州はまた蜀に入り、後に後周の世宗に取られた。)

所管:成紀(旧県)/天水(旧県)/隴城(旧県)/長道(旧県)/清水(もと鳯翔府に属したが、後唐の時に来属した)

鳯州(四県を領する)

所管:梁泉(旧県)/両当(旧県)/河池(旧県)/黄花(旧県)

階州(二県を領する)

所管:福津(旧県)/将利(旧県)

成州(梁の時に汶州と改め、後唐の時に旧に復した。二県を領する。)

所管:同谷(旧県)/栗亭(後唐の天成時に置いた)