十国春秋十國春秋卷一百十一 十國地理表上

十國地理表上の序

  • 撰者は檢討・呉任臣。
  • 五代のとき版図は分裂し、諸国はそれぞれ一方に覇をとなえて互いに雄長を争った。
  • 江淮以南の諸州は呉のものとなり、南唐がこれを継いだ。浙東・浙西の十三州一軍を領したのが呉越。東川・西川を併せて山南西道に及んだのが前蜀・後蜀。越湖以南の数州が楚。嶺南を越えて東西に連なるのが南漢。太原以北の諸州にまたがるのが北漢。江陵府と歸州・陝州(洎歸陜二州)を割いたのが荆南。七閩に拠って列国と抗衡したのが閩。
  • 領地が狭ければ虎のように睨みあい鴟のように張り、国が多ければ蟬のように連なり蠶のように食い合う。おおよそそのような形勢であった。
  • その間、郡邑の改編は頻繁で新置も多く、必ずしもすべてが唐末の旧のままではない。そこでその沿革と得失を調べてこの十國地理表を作った。

府州軍監の帰属対照表――呉・南唐

  • 表頭は「府州名(軍・監を附す)」に、梁・唐・晉・漢・周の五代を配する。
  • 一つの欄に二つの帰属が並ぶのは、その代の途中で領有が移ったことを示す。
府州名(注記)
江都府(もと揚州。呉が府に改めて都を建て、南唐が東都とする) 南唐 南唐 中朝
金陵府(もと昇州。呉が府とし、南唐が江寜府と改めて西都を建てる) 南唐 南唐 南唐
雄逺軍 南唐 南唐 南唐
南昌府(もと洪州。南唐が南昌府として南都を建てる) 南唐 南唐 南唐
雄州 南唐 南唐 中朝
建武軍 南唐 南唐 中朝
楚州 南唐 南唐 中朝
泗州 南唐 南唐 中朝
滁州 南唐 南唐 中朝
和州 南唐 南唐 中朝
光州 南唐 南唐 中朝
黄州 南唐 南唐 中朝
舒州 南唐 南唐 中朝
蘄州 南唐 南唐 中朝
廬州 南唐 南唐 中朝
壽州 南唐 南唐 中朝
海州 南唐 南唐 中朝
泰州 南唐 南唐 中朝
濠州 南唐 南唐 中朝
潤州 南唐 南唐 南唐
常州 南唐 南唐 南唐
江隂軍 南唐 南唐 南唐
宣州 南唐 南唐 南唐
歙州 南唐 南唐 南唐
鄂州 南唐 南唐 南唐
池州 南唐 南唐 南唐
饒州 南唐 南唐 南唐
信州 南唐 南唐 南唐
江州 南唐 南唐 南唐
撫州 南唐 南唐 南唐
建武軍 南唐 南唐 南唐
袁州 南唐 南唐 南唐
吉州 南唐 南唐 南唐
䖍州 中朝→呉 南唐 南唐 南唐
筠州 中朝→呉 南唐 南唐 南唐

府州軍監の帰属対照表――前蜀・後蜀

府州名(注記)
成都府(もと益州。蜀が府とする) 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
漢州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
彭州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
灌州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
蜀州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
綿州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
眉州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
嘉州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
劍州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
梓州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
遂州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
果州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
閬州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
普州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
陵州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
資州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
榮州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
簡州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
卭州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
黎州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
雅州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
維州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
茂州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
文州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
龍州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
黔州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
施州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
䕫州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
安州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
忠州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
萬州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
興州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
利州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
開州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
通州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
涪州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
渝州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
瀘州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
合州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
昌州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
巴州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
蓬州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
集州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
壁州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
渠州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
潾州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
戎州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
興元府(もと梁州) 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
洋州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
源州 前蜀 中朝→後蜀 後蜀 後蜀 後蜀
金州 中朝→前蜀 中朝→後蜀 中朝 中朝 中朝
秦州 岐→前蜀 中朝 中朝 後蜀 中朝
鳯州 岐→前蜀 中朝 中朝 後蜀 中朝
階州 岐→前蜀 中朝 中朝 後蜀 中朝
成州 岐→前蜀 中朝 中朝 後蜀 中朝

府州軍監の帰属対照表――南漢

府州名(注記)
興王府(もと廣州。南漢が府に改める) 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
韶州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
潮州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
禎州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
循州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
齊昌府 南漢 南漢 南漢
封州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
端州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
英州 南漢 南漢 南漢 南漢
雄州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
敬州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
康州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
恩州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
思州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
瀧州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
勤州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
新州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
高州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
潘州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
雷州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
羅州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
辨州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
邕州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
春州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
貴州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
巒州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
横州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
賔州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
欽州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
潯州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
容州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
牢州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
白州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
亷州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
常樂州 南漢 南漢 南漢 南漢
黨州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
繡州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
鬱林州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
藤州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
竇州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
義州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
禺州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
順州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
瓊州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
崖州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
儋州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
萬安州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
振州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
思唐州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢
交州 南漢 南漢 南漢 南漢 南漢

府州軍監の帰属対照表――楚

府州名(注記)
長沙府(もと潭州。楚が郡とする) 周行逢
衡州 周行逢
澧州 周行逢
朗州 周行逢
岳州 周行逢
道州 周行逢
永州 周行逢
邵州 周行逢
全州 周行逢
辰州 周行逢
融州 南漢 南漢
郴州 南漢 南漢
桂楊監 南漢 南漢
連州 南漢 南漢
昭州 南漢 南漢
宜州 南漢 南漢
桂州 南漢 南漢
溥州 南漢 南漢
賀州 南漢 南漢
梧州 南漢 南漢
䝉州 南漢 南漢
嚴州 南漢 南漢
富州 南漢 南漢
栁州 南漢 南漢
龔州 南漢 南漢
象州 南漢 南漢
錦州 周行逢
溪州 周行逢
叙州 周行逢

府州軍監の帰属対照表――呉越

府州名(注記)
西府(杭州) 呉越 呉越 呉越 呉越 呉越
安國衣錦軍 呉越 呉越 呉越 呉越 呉越
東府(越州) 呉越 呉越 呉越 呉越 呉越
蘇州 呉越 呉越 呉越 呉越 呉越
湖州 呉越 呉越 呉越 呉越 呉越
温州 呉越 呉越 呉越 呉越 呉越
台州 呉越 呉越 呉越 呉越 呉越
明州 呉越 呉越 呉越 呉越 呉越
處州 呉越 呉越 呉越 呉越 呉越
衢州 呉越 呉越 呉越 呉越 呉越
婺州 呉越 呉越 呉越 呉越 呉越
睦州 呉越 呉越 呉越 呉越 呉越
秀州 呉越 呉越 呉越

府州軍監の帰属対照表――閩

府州名(注記)
長樂府(もと福州。閩が府に改め南都を建てる) 呉越 呉越 呉越
泉州 南唐(留從效) 南唐(留從效) 南唐(留從效)
建州 南唐 南唐 南唐
汀州 南唐 南唐 南唐
南州(もと漳州。南唐が今の名に改める) 南唐(留從效) 南唐(留從效) 南唐(留從效)
鏞州 南唐 南唐 南唐
劍州(閩が鐔州を置き、南唐が今の名に改める) 南唐 南唐 南唐

府州軍監の帰属対照表――荆南

府州名(注記)
江陵府(荆州) 荆南 荆南 荆南 荆南 荆南
荆門軍 荆南 荆南 荆南 荆南 荆南
歸州 荆南 荆南 荆南 荆南 荆南
峽州 前蜀 荆南 荆南 荆南 荆南

府州軍監の帰属対照表――北漢

府州名(注記)
太原府(并州) 後唐 中朝 中朝 中朝 北漢
汾州 後唐 中朝 中朝 中朝 北漢
嵐州 後唐 中朝 中朝 中朝 北漢
岢嵐軍 北漢
憲州 後唐 中朝 中朝 中朝 北漢
忻州 後唐 中朝 中朝 中朝 北漢
代州 後唐 中朝 中朝 中朝 北漢
寳興軍 北漢
遼州 後唐 中朝 中朝 中朝 北漢
沁州 後唐 中朝 中朝 中朝 北漢
隆州 後唐 中朝 中朝 中朝 北漢
石州 後唐 中朝 中朝 中朝 北漢

呉・南唐の府州と属県

  • 東都江都府(揚州。呉が大都督府を江都府と改めて都を建て、南唐は昇元元年(937年)に東都とした。領県四)
  • 江都(旧県)、廣陵(旧くは江陽県。呉がそのまま用い、南唐が改名)、永貞(旧くは揚子県。呉がそのまま用い、南唐が今の名に改める。呉の順義四年(924年)、本県の白沙鎮を迎鑾鎮とした)、高郵(旧県。呉の江都府には海陵・興化・天長が属県としてあった。南唐は海陵・興化を泰州に属させ、天長には軍を置いた)
  • 西都江寜府(昇州大都督府。呉の武義二年(920年)七月に金陵府と改め、南唐が江寜府と改めて西都を建てる。領県十五。『鳯凰臺記事』にいう、六朝の旧城は覆舟山に近く秦淮を去ること□里、楊呉の時に至って改築し、秦淮の南北にまたがり周囲二十五里)
  • 上元(旧くは潤州に属す。唐の光啓三年(887年)に昇州へ)、江寜(旧県。歐陽忞がいう、唐は江寜を改めて上元とし、南唐がまた上元を分けて江寜を置き、郭下を分治した)、句容(旧くは潤州。唐の光啓三年に昇州に隷す)、溧水(旧くは宣州。唐の光啓三年に昇州に改隷)、溧陽(旧くは宣州。唐の光啓三年に昇州に隷す)、廣徳(旧くは宣州。南唐のときに来属)、蕪湖(もと漢の県。後に廃されたが、南唐が當塗を分けて復置)、銅陵(南唐の置。初めは池州に隷し、のち来属)、繁昌(もと晋の県。隋が當塗に併合したが、南唐が當塗を分けて復置)、青陽(旧くは池州。南唐は初め宣州の當塗を江寜府に属させ、當塗が雄逺軍となるに及んで池州の青陽を来属させた)
  • 雄逺軍(旧くは當塗県。南唐が新和州を置き、後に雄逺軍と改める)
  • 南都南昌府(洪州。南唐の交泰二年(959年)十一月に州を南昌府と改め、南郡を建てる。領県七)
  • 南昌(旧県)、豐城(旧くは豐城。楊氏(楊呉)が初め呉臯と改め、後に豐城に復す。『郡縣釋名』は、朱梁のとき呉臯といったとする)、建昌(旧県)、奉新(旧くは新吴。南唐が今の名に改める。『郡縣釋名』は、李昪が国号を唐としたので楊呉の称を諱み、新吴を改めて奉新としたという)、分寜(旧県)、武寜(旧県)、靖安(もと晋の建昌県の地。唐が靖安鎮を置き、呉が場と改め、南唐が建昌・奉新・武寜三県の地を割いて県に昇格)、清江(南唐の昪元二年(938年)八月戊寅、洪州の瀟灘鎮を清江県に昇格させ、州に隷させなかった)
  • 雄州(南唐が揚州の六合・天長を割いて雄州を置いたが、まもなく廃して六合を江都府に隷させた。按ずるに歐陽脩の職方考は南唐が天長を軍とし六合を雄州としたといい、陸游『南唐書』元宗紀は雄州とは天長県の名だとする。今は「南唐州軍縂音釋」に従う)
  • 建武軍(南唐が揚州天長県に置いた軍を建武という。馬令『南唐書』は天長軍に作り、『文獻通考』は南唐が建武軍を置き、また雄州と改め、周が天長軍と改めたとする。どちらが正しいかは未詳)
  • 楚州(領県四)山陽・盱眙・淮隂・寳應(いずれも旧県)
  • 泗州(領県六)臨淮・宿遷・下邳・漣水・虹・徐城(いずれも旧県)
  • 滁州(領県三)清流(旧県)、全椒(旧県)、来安(旧くは永陽県。呉がそのまま用い、南唐が来安と改める。後に八石山・来安水がある)
  • 和州(領県三)厯陽・烏江・含山(いずれも旧県)
  • 光州(領県五)定城・固始・光山・仙居・殷城(いずれも旧県)
  • 黄州 黄岡・黄陂・麻城(いずれも旧県)
  • 舒州(領県五)懷寜・宿松・望江・太湖・桐城(いずれも旧県)
  • 蘄州(領県四)蘄春・黄梅・蘄水・廣濟(いずれも旧県)
  • 廬州(領県五)合肥・慎・巢・廬江・舒城(いずれも旧県)
  • 壽州(領県五。按ずるに南唐の寿州はこの地。周の顯徳四年(957年)に州を潁州の下蔡県へ移し、下蔡県を倚郭とし、旧寿州を寿春県とした)
  • 夀春(旧県)、安豐(旧県)、霍丘(旧県)、來化(旧くは盛唐県。梁の開平二年(908年)八月に灊山県と改め、後唐の同光元年(923年)十月に盛唐へ復し、晋の天福七年(942年)に来化と改める。按ずるに寿州は呉と南唐の領有地であり、梁・唐・晋が改めたのは遠くから名だけを改めたもので、呉・南唐が従ったとは限らない。今は姑くその説に従い後の考証を俟つ)、霍山(旧県)
  • 海州(領県四)朐山・東海・沭陽・懐仁(いずれも旧県)
  • 泰州(呉が海陵制置院を置き、南唐の昇元元年(937年)に泰州へ昇格。領県五)
  • 海陵(旧県。海陵の東境に南唐が静海制置院を置く。東洲鎮があり、周が海門県を置いた)、興化(呉の置。旧くは江都府に属し南唐のときに来属)、鹽城(旧県。呉のとき楚州に属し南唐のときに来属)、泰興(南唐の置)、如臯(もと晋の県。隋のとき省かれ、唐が海陵の地を分けて如臯鎮を置き、南唐が県に昇格)
  • 濠州(領県三)鍾離・招義・定逺(いずれも旧県)
  • 潤州(領県四。南唐が丹陽宮を置いたが、まもなく廃した)丹徒・丹陽・延陵・金壇(いずれも旧県)
  • 常州(領県四)武進・義興・無錫・晉陵(いずれも旧県)
  • 江隂軍(唐の武徳三年(620年)に晉陵郡の江隂県へ暨州を置き、九年(626年)に廃した。呉が再びその地に江隂県を置く)
  • 宣州(呉は唐の旧のまま。南唐が當塗・廣徳を江寕府に入れる。領県七)宣城・涇・太平・旌德・南陵・綏安・寜國(いずれも旧県)
  • 歙州(領県六)歙・休寜・績溪・黟・祁門・婺源(いずれも旧県)
  • 鄂州(呉のときは領県七。南唐が嘉魚・永安・通山・大冶の四県を加えて領県十一)
  • 江夏(旧県)、永興(旧県。呉の太祖が羊山鎮で冶を営みその賦を徴した)、唐年(唐の旧では唐年県。呉が崇陽県と改める、邑に崇陽河があるため。梁が臨夏県と改め、晋の天福七年(942年)に臨江県と改め、南唐がまた唐年と改める)、漢陽(旧県)、武昌(旧県)、蒲圻(旧県)、汊川(旧県)、嘉魚(南唐の置。『湖廣志』によれば、呉が唐の鮎凟鎮を場と改め、昇元初に県と改め、保大中に鮎凟県を嘉魚県と改めた。地に魚嶽山があり、詩「南有嘉魚」の意を取る)、永安(江夏の南境に永安鎮があり、楊呉が永安場と改め、南唐の保大十三年(955年)に江夏南境三郷の地を割いて県に昇格)、通山(唐の永興県の地の新豐郷。呉が鉄冶を興して羊山鎮を置き、南唐が通山県を置く。『宋史』地理志が太平興國二年(977年)に羊頭鎮を通山県へ昇格させたとするのは誤り。『湖廣志』は青山・通華の二鎮から一字ずつ取って通山県と名づけたとする)、大冶(唐は永興の地を大冶青山場院とし、南唐が大冶県へ昇格。『湖廣志』は保大十三年(955年)に陽新・武昌の三郷を分けて大冶県を置くとし、『文獻通考』が宋の乾徳五年(967年)に大冶県を置くとするのは非であろう)
  • 池州(旧くは青陽・銅陵の二県があったが、のち江寜府に改隷。領県三)貴池(もと隋の秋浦県。五代のとき呉が貴池と改める)、石埭(旧県)、建徳(旧くは至徳。楊呉が建徳と改める)
  • 饒州(領県五)番昜(旧県)、樂平(旧県)、徳興(もと樂平県の地。唐が徳興場を置き、南唐が県へ昇格)、餘干(旧県)、浮梁(旧県)
  • 信州(領県五)上饒・貴溪・弋陽・玉山(いずれも旧県)、鉛山(もと唐の撫・建二州の地。南唐が始めて県を置く。山に銅と鉛を産するのが名の由来。県の西南七里に鉛山があり、旧名を桂陽山、また楊梅山という。南唐がかつて鉛場をここに置いた)
  • 江州(領県六)
  • 徳化(唐の潯陽県。呉がそのまま用い、南唐が徳化と改める。境内に落星石があり、楊呉が星子鎮を置いた)、徳安(もと隋の湓城県の南境。唐は蒲塘場とし、呉が徳安県へ昇格。『文獻通考』は南唐の県ともする)、瑞昌(孫呉の程普がここに駐兵したとき、赤烏が来鳴して「翌日必ず吉祥あり」との讖があり、果たして赤壁の勝報が届いたので、その地を赤烏鎮、また瑞昌鎮と名づけた。唐が赤烏場を立て、南唐が瑞昌県へ昇格)、湖口(旧くは湖口鎮。南唐が県へ昇格)、彭澤(旧県)、東流(唐は東流場。南唐が県を置く。陸游『南唐書』は東流がまもなく池州に属したとするが、『文獻通考』は宋の太平興國三年(978年)に東流を池州に属させたとしており、陸氏の説は非)
  • 撫州(領県四)臨川(旧県。唐のとき県に上幕鎮があり、南唐がその鎮に金谿場を立てた。また宜黄場がある)、南城(旧県)、崇仁(旧県)、南豐(旧県)
  • 建武軍(南唐が撫州南城県に建武軍を置く。宋の太平興國四年(979年)に建昌軍と改める。五代に建昌軍が置かれたとするのは非)
  • 袁州(領県三)宜春(旧県)、萍鄉(旧県。萍実橋が県の西にあり、楊呉のときに架けられた)、新喻(旧県)
  • 吉州(領県六)
  • 廬陵(旧県。『郡縣釋名』は南唐が廬陵県を割いて吉水を置くとするが、『文獻通考』は吉水は宋の雍熙元年(984年)の置とするので、従わない)、新淦(旧県。『寰宇記』に紫淦山があり淦水がその下を流れるという。天祐七年(910年)に呉が新淦へ制置院を置いた)、太和(旧県。南唐の徐鍇の白鶴観碑記に、隋のとき邑に嘉禾を産し和気の生ずる所としたゆえの名という)、安福(旧県)、龍泉(旧くは遂興県。楊呉が分けて龍泉場を置き、南唐が県を置く。県に萬安鎮があり、南唐が始めて鎮を立てたとき地を掘って石符一帙を得た。漢の八分書で「地は両川を界し、神秀の蟠るところ。改めて都邑となさば万民もって安からん」とあったのが名の由来)、永新(旧県)
  • 䖍州(領県十一)
  • 贛(旧県)、䖍化(旧県)、南康(旧県)、雩都(旧県)、瑞金(もと雩都県の地。楊呉が県の象湖鎮に瑞金監を置き、南唐が県へ昇格。地を掘って金を得たのが名の由来)、信豐(旧県)、龍南(唐は信豐県の地に百丈鎮を置き、まもなく䖍南と改める。楊呉が䖍南場と改め、南唐が県へ昇格)、石城(もと䖍化の石城場。南唐が始めて県を置く)、上猶(もと南康県の地。楊呉が分けて上猶場を置く、地に猶水があるゆえの名。南唐が県へ昇格)、大庾(旧県)、安遠(旧県)
  • 筠州(唐の武徳七年(624年)に靖州を置き米州と改め、また筠州と改める。八年(625年)に州を廃して洪州に属させた。南唐の保大十年(952年)正月、高安県に筠州を復置。領県四)
  • 高安(楊呉のとき洪州に属し、南唐の保大のときに来属。境内に廃された宜豐県があり、南唐がその地に塩歩鎮を立てた)、上高(唐の僖宗のとき鍾𫝊が、旧望蔡県が高安の上流にあるとして上高鎮を置き、南唐の保大中に県を置く)、萬載(もと漢の建城県の地。孫呉が分けて陽樂県を置き、南唐が萬載県を置く。一説には楊呉が萬載県を置いて袁州に属させ、南唐のときに来属したともいう。『輿地廣記』はまた萬歳県に作る)、清江(もと高安県の蕭灘鎮。南唐の昇元三年(939年)八月戊寅に鎮を清江県へ昇格させ、州に隷させなかった。保大十年(952年)に来属。歐陽忞が清口に作るのは誤り)
  • 南唐の州数についての諸説
  • 馬令『南唐書』は南唐の州を三十五とし、昇・潤・常・歙・宣・江・洪・撫・袁・吉・䖍・筠・楊・鄂・池・饒・信・楚・泗・滁・和・光・黄・舒・蘄・廬・壽・海・泰・濠・建・汀・劍・漳・泉を挙げる。鄂から濠に至る十七州はみな顯徳五年(958年)に周へ入り、いったん取ってまた失ったものが十一州。福州は保大三年(945年)に取ったが羈縻にとどまり、四年(946年)に呉越へ入った。潭・衡・澧・朗・岳・道・永・邵・全・辰はみな保大九年(951年)に取って十年(952年)に失った。
  • 陸游『南唐書』は南唐の州軍を凡そ三十八とし、昇・揚・雄・楚・泗・滁・和・光・黄・舒・蘄・廬・壽・海・秦・濠・通・潤・常・宣・歙・池・饒・信・江・洪・鄂・筠・撫・袁・吉・䖍・建・汀・劍・南・泉・雄逺軍を挙げる。
  • 任臣が案ずるに、通州は後周の置であり南唐に載せるのは誤りである。今は通州を除き、建・汀など五州は閩の方へ繋ける。

前蜀・後蜀の府州と属県

  • 成都府(益州。領県十)成都・華陽・郫・犀浦・新都・温江・新繁・雙流・靈池・廣都(いずれも旧県)
  • 漢州(領県五)雒(旧県)、德陽(旧県)、通計(旧くは什邠県。前蜀の永平元年(911年)に通計と改める。県民の郭迥が銅牌を献じたのが由来)、緜竹(旧県)、金堂(旧県。『冊府元龜』に晋の天福七年(942年)に漢州の金堂を漢城と改めるとあるが、これも遠くから名だけを改めたものであろう)
  • 彭州(領県四)九隴(旧県)、導江(旧県)、濛陽(旧県)、唐昌(『五代㑹要』は梁の開平八年に唐昌を歸化県と改め、後唐の同光元年(923年)十月に唐昌へ復したという。『冊府元龜』は晋の天福七年(942年)に彭州の唐化を彭山と改めたというが、この時すでに蜀は梁・晋の統制を奉じておらず、邑名の変更は遠くから改めて体裁を整えたにすぎない。また彭州に唐化県は無く、眉州には彭山県がある。どこかに誤りがあるか、あるいは改名しなかったのかもしれない)
  • 灌州(『郡縣釋名』は孟蜀が導江の灌口鎮に灌州を置いたとする。しかし前蜀の武成元年(908年)に灌州が武部郎中張道古の死を奏しており、灌州の名は既に久しく後蜀に始まるものではない。また『宋史』地理志は、導江県の灌口鎮に唐が静軍鎮を置いたとする)
  • 蜀州(領県五)
  • 晉原(旧県)、青城(旧県)、永康(『文獻通考』は前蜀が青城を分けて永康軍を置くといい、『輿地廣記』は永康県はもと青城県の横渠鎮で、孟蜀の廣政中に永康県を置き蜀州に属させたという。二書を合わせて断ずるに、王氏(前蜀)のときは軍、孟氏(後蜀)のときは県であったのだろう)、唐興(『輿地廣記』は唐の光天元年(918年)に唐安と名づけ、後にまた唐興というとする。『五代㑹要』は梁の開平二年(908年)八月に唐興を陶胡県と改めるとし、これは前蜀の武成元年にあたる。後唐の同光元年(923年)十月に唐興県へ復す。晋の天福七年(942年)に廟諱を避けて唐興を鄉城と改めたが、これは後蜀の廣政五年にあたり、晋が遠くから改めただけで孟氏が従ったとは限らない)、新津(旧県。『唐書』地理志に既にこの県があり、『宋史』地理志が新津を唐の唐安県で開寳四年(971年)に改めたとするのは非)
  • 綿州(領県八)巴西(旧県)、彰明(旧くは昌明。前蜀がそのまま用い、後唐の同光のときに彰明と改める、廟諱を避けたもの。後蜀は今の名に従う)、魏城・羅江・神泉・龍安・鹽泉・西昌(いずれも旧県)
  • 眉州(領県五)通義・彭山・青神・丹稜・洪雅(いずれも旧県)
  • 嘉州(領県七)龍游・犍為・玉津・夾江・平羌・羅目・綏山(いずれも旧県)
  • 劔州(領県九)普安・武連・隂平・梓潼・黄安・劍門・臨津・永歸・普成(いずれも旧県)
  • 梓州(領県八)郪(旧県)、射洪(旧県)、通泉(旧県)、鹽亭(旧県。『輿地廣記』は蜀が塩亭に招葺院を置くとし、『文獻通考』が招葺県に作るのは誤りか。また蜀の明徳初に塩亭を分けて東関県を置いたとする説もあるが、宋の乾徳四年(966年)に静戍軍を改めて東関県を置いたもので孟蜀の置ではない)、飛烏・𤣥武・銅山・永泰(いずれも旧県)
  • 遂州(領県五)方義・青石・長江・蓬溪・遂寜(いずれも旧県)
  • 果州(領県五)南充・相如・岳池・流溪・西充(いずれも旧県)
  • 閬州(領県九)閬中・蒼溪・晉安・西水・奉國・南部・新井・新政・岐平(いずれも旧県)
  • 普州(領県六)安岳・安居・普康・樂至・崇龕・普慈(いずれも旧県)
  • 陵州(領県五)仁夀・貴平・井研・始建・籍(いずれも旧県)
  • 資州(領県八)盤石(旧県)、資陽(旧県)、内江(旧県。『内江志』は唐初の県治は内江、のち盤石に移し、王蜀のときまた内江に移し、孟蜀が盤石へ徙したという)、銀山・丹山・龍水・月山・隋溪(いずれも旧県)
  • 榮州(領県六)旭川・威逺・公井・應靈・咨官・和義(いずれも旧県)
  • 簡州(領県三)陽安・金水・平泉(いずれも旧県)
  • 卭州(領県七)臨卭・火井・蒲江・依政・安仁・臨溪・大邑(いずれも旧県)
  • 黎州(木瓜關があり、前蜀の高祖が築いたもの。領県二)漢源(旧県。旧く飛越県があり、五代のとき漢源に併合された)、通望(旧県)
  • 雅州(領県五)嚴道・盧山・名山・百丈・榮經(いずれも旧県)
  • 維州(領県二)保寜(旧くは薛城県。孟蜀が今の名に改める)、小封(旧県)
  • 茂州(領県四)汶山・石泉・汶川・通化(いずれも旧県)
  • 文州(領県一)曲水(旧県)
  • 龍州(領県二)江油・清州(いずれも旧県)
  • 黔州(領県六)彭水・黔江・杜洪・洋水・信寜・都儒(いずれも旧県)
  • 施州(領県二)清江・建始(いずれも旧県)
  • 䕫州(領県三)奉節・巫山・大昌(いずれも旧県)
  • 安州(旧くは雲安県。後に雲安監を置いて䕫州に属させた。前蜀の永平のときに安州へ昇格)
  • 忠州(領県五)臨江・豐都・墊江・南賔・桂溪(いずれも旧県)
  • 萬州(領県二)南浦(旧県)、梁山(旧県。県に務があり石氏屯田務という)
  • 興州(領県二)順政・長舉(いずれも旧県)
  • 利州(領県五)綿谷・葮萌・益昌・嘉川・𦙍山(いずれも旧県)
  • 開州(領県三)開江・萬歳・新浦(いずれも旧県)
  • 通州(領県九。『宋史』地理志は逹州に作るが、宋の乾徳三年(965年)に初めて逹州と改めたものである)通川(旧県。県に通明院があり、蜀が置いて税賦を催促した)、永穆・三岡・石鼓・東鄉・宣溪・新寜・巴渠・閬英(いずれも旧県)
  • 涪州(領県五)涪陵・賔化・武龍・樂温・温山(いずれも旧県)
  • 渝州(領県五)巴・萬壽・南平・江津・壁山(いずれも旧県)
  • 瀘州(領県五)瀘川・富義・江安・線水・合江(いずれも旧県)
  • 合州(領県六)石鏡(旧県。晋の天福七年(942年)に合州の石鏡を仙覧と改めたが、これも晋が遠くから名を改めただけで孟氏が従ったとは限らない)、漢初・赤水・巴川・銅梁・新明(いずれも旧県)
  • 昌州(領県三)大足・昌元・永川(いずれも旧県)
  • 巴州(領県九)化成・盤道・清化・曽口・歸仁・始寜・其章・恩陽・七盤(いずれも旧県)
  • 蓬州(領県七)大寅・儀隴・伏虞・咸安・大竹・良山・岩渠(いずれも旧県)
  • 集州(領県四)難江・道平・大牟・嘉川(いずれも旧県)
  • 壁州(領県五)渃水・廣納・通江・白石・東巴(いずれも旧県)
  • 渠州(領県五)流江・潾水・潾山(旧県。潾州ともなる、次条を見よ)、大竹・渠江(いずれも旧県)
  • 潾州(『通鑑』に、魏王繼岌が興州に至ったとき山南節度使の王宗威が梁・開・通・渠・麟の五州を挙げて降ったとある。胡三省の注に、渠州の潾山県は唐の武徳元年(618年)に潾州を置き、八年(625年)に州を廃して潾山県を梁州に属させた、蓋し蜀が潾州を復置したのであろう、麟は潾に作るべしという)
  • 戎州(領県五)南溪・義賔・樊道・開邉・歸順(いずれも旧県)
  • 興元府(梁州。褒州ともいう。領県五)南鄭・褒城・西・三泉・城固(いずれも旧県)
  • 洋州(領県四)興道・西鄉・黄金・真符(いずれも旧県)
  • 源州(本州設置の由来は考えようがない。『通鑑』に蜀の源州都押牙・文景琛が城に拠って叛したとあり、薛氏『舊五代史』に後蜀の潘仁嗣が武定節度使・源壁等州観察営田処置等使を授かったとあり、周の軍が秦・鳳を攻めたとき孟貽業が平利に駐屯して褒・源の援けとしたとあるから、蜀が源州を置いて武定軍に属させたことは疑いない。胡三省は、源州は蓋し蜀の置いたもので、まもなく廃されたため伝わらないのだという。同光の克蜀に六十四州を得たが、歐陽氏の職方考に見えるのは五十三州のみで、源州などは皆その六十四州の数に入るのであろう)
  • 金州(領県五。後蜀では欠く。前蜀が金州をすべて得たが、やがて唐に入り、また得たものの、いくばくもなく晋に入った)商城・石泉・安康・洵康・淯陽・平利(いずれも旧県)
  • 秦州(領県五。秦・鳳・階・成の四州は先に岐の領有するところで、前蜀の高祖が攻めてこれを得た。後唐が蜀を破ったのちまた失い、秦・鳳・階・成の四州を得たにとどまる。漢の初めに四州はまた蜀へ入り、後に周の世宗の取るところとなった)成紀・天水・隴城・長道(いずれも旧県)、清水(旧くは鳯翔府に属し、後唐のときに米に属す)
  • 鳳州(領県四)梁泉・兩當・河池・黄花(いずれも旧県)
  • 階州(領県二)福津・将利(いずれも旧県)
  • 成州(梁のとき汶州と改め、後唐のときに旧に復す。領県二)同谷(旧県)、栗亭(後唐の天成のときに置く)