十国春秋卷一百七 北漢四 列傳 馬峰
馬峰
- 馬峰は太原の人である。睿宗父子(睿宗・英武帝)に仕え、官は宣徽使に至った。広運の初め、契丹が令を伝えて宋と通好し妄りに侵伐しないよう命じたとき、英武帝はこの命を聞いて慟哭し、兵を出して契丹を攻めることを謀ったが、峰は切に諫めて不可とした。まもなく枢密副使・左僕射に遷り致仕(引退)した。
- 宋軍が太原を囲むこと甚だ急であり、国人はなお堅守しようとしていたとき、峰はたまたま病で家に居ったが、輿に乗せられて入って英武帝に会い、涙を流して興亡の理を論じた。英武帝はそこで出降した。
- 太原が平定されると、宋の太宗は峰を将作監とし、太府卿に転じ西京に分司させた。峰は服餌(薬餌)による養生を善くし、体は強健で病がなかった。性は鄙吝(けちで狭量)であり、頗る持論を好んだ。宋の雍熙元年(984年)に卒し、享年八十余であった。