李存瓌
- 李存瓌は唐の荘宗の従弟である(李克寧の子)。明宗に仕えて供奉官となった。存瓌はもとより孟知祥の甥であった。長興三年、明宗は存瓌を蜀に遣わして知祥を宣慰させ、詔を賜って「董璋は狐狼のごとく自ら族滅を招いたが、卿の丘園の親戚は皆安全を保っている。まさに家世の美名を成し、君臣の大節を守るべきである」と言わせた。存瓌は詔を奉じ懇篤に諭し、大いに知祥の心を得た。明宗はその能を称えた。
- のちに晋(後晋)に仕えて趙州刺史を授けられた。高祖の時、世祖を北京留守としたとき、存瓌を副留守に署し、少尹の李驤、馬歩指揮使の蔚進にこれを佐けさせた。ほどなく河東節度副使に改められた。
- 乾祐四年、世祖が皇帝位に即くと、代州防禦使を除せられ都監に進んだ。世祖は常に存瓌を顧みて「今日、位号を忝(かたじけな)くも称しているのはやむを得ないことである」と語った。そこで孝和帝に晋州を攻めるよう命じ、存瓌に歩騎一万を率いさせその副とした。数か月して、通事舎人の李𧦬が遼に赴き援兵を乞うた。世祖はまた存瓌を招討使とし、兵を率いて団柏より周を伐たせ功があった。天会中、累官して武忠節度使・同平章事となり、契丹の将髙勲とともに上党を攻めたが得るところなく還った。その後の消息は分からない。