十国春秋卷一百六 北漢三 列傳 劉繼業

劉繼業

  • 劉継業はもと姓を楊氏という。太原の人。父の信は高祖に仕えて麟州刺史となった。継業は弱冠にして世祖に仕え、驍勇をもって聞こえ、しばしば戦功を立てた。国人は「楊無敵」と号した。睿宗は劉姓を賜い諸子に比した。累官して建雄軍節度使となった。
  • 広運の時、継業は太原城の東南面を防ぎ、宋軍を殺傷すること数え切れなかった。英武帝が宋に降ってからも、継業はなお城に拠って苦戦した。宋の太宗はもとよりその勇を聞いており、生きて捕えようとし、英武帝に諭して継業を招かせ、あわせて親信を遣わして赴かせ禍福を説き明かした。継業はそこで北面して再拝し大いに慟哭し、甲を釈(と)いて汴京に入った。太宗は良く久しく撫慰し、その姓を戻し、ただ名を業とし、左領軍衛大将軍を授けた。ほどなく代州刺史を拝し、契丹の兵を鴈門で破りその将蕭徹爾を殺した。数年後、契丹の耶律色珍と陳家谷で戦い敗死した。太尉を贈られた。子は六人、延朗・延浦・延訓・延瓌・延貴・延彬といい、事跡は『宋史』に具(つぶさ)に記されている。