十国春秋卷九十八 閩九 列傳 卓巖明

要約

卓巖明は莆田の人で、もとの名を偃といい、のちに神光寺で出家して体明と名乗っていた。福州の政変で自立できずにいた李仁達らは、もとより衆に推し重んじられていた体明に目をつけ、その寝床に赤い蛇が出入りするとか、瞳が二重で手が膝を過ぎるという天子の相があるなどと偽って言いふらし、陳継珣・黄仁諷らとともに彼を担ぎ出して僧衣を脱がせ袞冕を着せて帝位に就け、名を巌明と改めさせた。時に天徳三年三月であった。

巌明は天福十年と称して晋に藩と称する使者を送った一方、統治の実質的な方策はなく、殿上で法を行い水を吹き豆をまいて鬼兵を召すという法術を演じるのみであった。莆田から父を迎えて太上皇と尊ぶなど、形だけの帝政を営んだ。

閩を平らげようとした天徳帝はこれを聞いて統軍使張漢真に討伐の兵を率いさせた。その年五月、李仁達は戦士を大いに閲兵すると称して巌明を臨席させ、その隙に軍士に命じて壇に突入させ巌明を刺殺させ、みずからその座を奪い取った。他書の多くが「儼明」と表記する中、本書は『啓運図』『閩録』に従って「巌明」の字を採っている。傀儡として担がれた末に利用され尽くして殺される、閩末の混乱を象徴する事件であった。

現代語訳全文

偽帝の擁立と刺殺

  • 卓巖明(『九国志』『旧五代史』『呉越備史』『唐余伝』『五国故事』はいずれも「儼明」に作るが、ここでは『啓運図』および『閩録』に従う)は、莆田の人である。もとの名は偃といった。
  • のちに神光寺で髪を落として僧となり(一説には雪峰寺という)、名を体明と改めた。
  • 福州の乱で、李仁達はまだ急には自立できず、体明がもとより衆に推し重んじられていたので、偽って「体明は神光寺で常に寝入っている間に赤い蛇がその鼻から出入りする、異人である」と言い、また「その目は重瞳子(瞳が二重)であり、手を垂らせば膝を過ぎ、まさに天子の相である」と言った。
  • そこで陳継珣・黄仁諷らとともに彼を帝として立て、名を「巌明」と改め、そのまま衲衣(僧衣)を脱がせて袞冕(天子の礼服)を被せた。将吏は地に伏して拝礼した。時に天徳三年三月己亥であった。
  • 巌明は天福十年と称し、使者を遣わして晋に藩と称した。天徳帝はこれを聞いて統軍使の張漢真に兵を率いさせて討伐させた。
  • 巌明には他に方略というものはなく、ただ殿上で法を行い、水を噀(ふ)き豆を撒いて鬼兵を召すと称するばかりであった。また、その父を莆田から迎えて太上皇と尊んだ。
  • 五月丁巳、仁達は戦士を大いに閲兵し、巌明に臨席して見るよう請うた。ひそかに軍士に命じて前に突入させ、階段を登らせて巌明を刺し殺させ、そのまま巌明の座を奪い取った。