十国春秋卷九十七 閩八 列傳 李相

王氏の遺孤を匿う

  • 李相は寿州の人である。若くして跅弛(放埒)で、馬を走らせ博打を打つことを好んだ。母の李媪の家はもとより豊かで、市中で酒を売っていた。王緒がまだ挙兵しない時、媪から酒を貰い受けてしばしば借りを負い、また酔って媪の酒舎を毀したので、媪は怒って相を殴ろうとした。媪は相の足を踏んで「天下がまさに乱れようとしている。これは壮士だ」と言い、そこで刎頸の交わり(生死を共にする友)となった。
  • 緒が挙兵すると、相はその部下に隷属した。まもなく(緒に従って)閩に入り、前鋒の将たちが緒を殺そうとした際、相はその遺孤である建斉を山中に匿い、みずからの幼い子と建斉の名を入れ替えて呼んだ(『晋安逸志』に言う、「その時、緒の子の建斉はちょうど四、五歳であった。相は建斉を抱き、緒の屍を枕にして哭き、天を仰いで王潮に向かって言った、『天よ天よ、将軍がみずから禍を招いたのはもっともなことで、その子はもとより将軍に北面して仕えていた身です。それにしても、これはあまりにひどいのではありませんか。まして、その幼子に何の罪がありましょう。どうかこれを生かしてください』と。潮は『よかろう』と言った。相はそこで建斉を抱いて帰り、その妻に語って言った、『潮は残忍な人物だ。今は偽ってこれを許したが、後にはきっとまた(建斉を)求めてくるだろう。どうしたものか。私は決して王氏の跡を絶やすことはさせない』と。そこでみずからの子と建斉の名を入れ替えて呼ぶことにした、云々」)。
  • 三日後、軍中で果たして建斉(と称する自分の子)を求めてきた。(相の子は)「よろしい」と答え、そのまま殺された。相はついに(本物の)建斉とともに軍に従い、閩県に住んだ。建斉はついに数世代にわたって李の姓を冒(かぶ)った。