十国春秋卷九十六 閩七 列傳 劉瓊

王位を辞し自刎す

  • 劉瓊は固始の人である。天徳の初め、永平鎮将となった。南唐が建州を侵すと、瓊は兵を統べて援軍に入り、軍は鏞州に至った。
  • 天徳帝がすでに唐に降ったことを聞くと、衆兵は瓊を推して王としようとしたが、瓊は義として受けようとせず、みずから首を刎ねて死んだ。
  • 部将はその屍を収めて山麓に葬り、郷人は祠を建ててこれを祀った。

史論

  • 湛温はみずから鴆毒を飲んで争いの端を弭(や)めようとした。その志は哀れむに足るものがある。董(思安)・王(忠順)・林(仁翰)・劉(瓊)は身を捨てて国のために尽くし、あるいは生き、あるいは死んで、その道は同じではなかったが、その大意を約めれば、いずれも王氏の忠臣である。ことわざに「疾風に勁草を知る」と言うが、私はこの四人においてそれを見た。