十国春秋卷九十五 閩六 列傳 劉山甫

劉山甫

  • 劉山甫は彭城の人である。太祖は閩に入ると山甫を威武軍節度判官に署した。時に海口の黄崎岸は横たわる石が険しく尖り、常に舟楫の患いとなっていた。太祖はこれを取り除こうと思ったが力役の労を憚った。乾寧中、夜、金の甲冑を着た神が自ら呉安王と称して開削を助けようという夢を見たため、山甫に命じて自らそこへ赴き祭りの支度をさせ、夢に見た事を述べさせた。三度目の奠(供え物)がまだ終わらないうちに、海中の霊怪がことごとく姿を現した。山甫はそこで僧院で休息し、高いところから望むと風雷が突然起こり、黄色い鱗と赤いたてがみを持つ魚とも龍とも異なるものが現れ、およそ三昼夜、風雷がようやく止んだ。すでに一つの港が新たに開かれ、たいへん行旅に便利になった。すなわち賜られた名は「甘棠港」というのがこれである。
  • 山甫はもともと中朝(中原)の旧族で、才藻があり、『金渓閑談』十二巻を著した。常に徐寅の墓誌銘を撰し、情と文とがともに至れりと世に称された。官は威武軍殿中侍御史に終わった。山甫はかつて父に従って嶺外に赴任し、帰りに舟を青草湖に泊めた際、岸に登って北方の毘沙門天王廟に詣でたところ、廟宇が摧れ頽れ灯や香が続いていないのを見て、詩を作ってこれを諷した(詩にいう、「自ら是れ神明に感応無し、盛衰何ぞ得て却って人に由らんや」)。その夜、神が夢に現れて「私は天王ではない、南嶽の神である、この地を主張するのに何によって侮られようか」と言い、たちまち驚いて目覚めると風濤が突然起こり、檣(帆柱)は倒れ綱は絶えた。山甫はにわかに起きて過ちを悔い、その詩を書いた牌を毀ってようやく治まった。