十国春秋卷八十九 吳越十三 僧清聳

僧清聳

  • 僧清聳は福州の人である。初め法眼禅師文益に参じたとき、文益は「滴滴として上座の眼裏に落ちている」と言ったが、清聳は初めその旨を悟らなかった。後に『華厳経』を閲して感悟し、明州の四明山に止まって庵を卓てた。節度使の王弟弘億は師事の礼を執った。忠懿王は衣錦軍の両地で法を開くことを命じ、後に国城の霊隠上寺に居させ、了悟禅師の号を署した。開宝四年(971年)、忠懿王が『華厳経』を閲していたとき、天冠菩薩の住処を尋ね、高僧を大いに集めたが、知る者がなかった。清聳は習ってその処を聞き知っていたので、使いを閩の支提山に遣わすと、『華厳経』八十二本を得、天冠千軀・金灯四耀を髣髴として見た。すぐに奏して王は金を捐てて寺を建て、天冠の銅像を鋳造し、海沿いに来たとき、たまたま颶風が起こり、舟人の半ばが水に沈んだが、寺に至ると、その水に投じられた半分もすでに至っていた。国人はみなこれを異とした。