十国春秋卷八十九 吳越十三 僧幼璋

僧幼璋

  • 僧幼璋はもと唐の相国夏侯孜の従子である。大中の初め、孜が広陵に出鎮したとき、幼璋はまさに七歳で随行し、慧照寺に遊んで『法華経』の誦経を聞き、堅く出家を求めた。咸通十二年(871年)、江陵に至り、騰騰和尚が「もし天台に往って静かなところに棲み、安に遇えばそこに止まるがよい」と戒めた。まもなく憨憨和尚に会うと、撫でて予言し「汝はこの後四十年にして巾子山下に菩薩王が江南に立つであろう。その時、我が道は昌えるであろう」と言った。幼璋はやがて天台山に至り、静安に福唐院を創建したが、その言はかなり験があった。已にしてまた隠竜院に住んだ。天祐三年(906年)、武肅王は使者の童建を遣わして衣服・香薬を賫らせて西府へねんごろに招き、志徳大師の号を署し、功臣堂に館させて日ごとに親しく法を問うた。幼璋は毎年天台山で金光明道場を建てて諸郡から大いに集まることを請い、久しくして辞して帰ろうとすると、王はすぐに府城に瑞竜院を建てた(文穆王の後、宝山院と改めた)。祈請して法を開くと、当時禅門は興盛で、また予言と符合した。宝正四年(929年)四月、王に墳塔を建てることを乞うと、王は陸仁章に命じて西関に勝地を選ばせて院を創らせ、天台の隠竜院を改めて隠迹塔とした。完成すると幼璋は府に入って王に別れを告げ、護法を託してついに期を計ったように逝去した。