十国春秋卷八十七 呉越十一 列傳 沈虎子
常州出兵への諫言
- 沈虎子、忠懿王に仕えて丞相となった。王が宋の命を受けて江南の常州を攻めようとした際、虎子は諫めて言った、「江南は我が国の藩蔽(垣根)です。今大王が自ら自国の垣根を撤去してしまえば、いったい何をもって社稷を守られるのでしょうか」と。王はこれに従わず、ついに兵を進めて常州を抜いた。ほどなく虎子は王に随って宋に入り、(闕)……その職において生涯を終えた。
史論
- 論に曰く:徳昭は倉卒の際にあって新君にお目にかかる時を待ち、よく大宝(王位)を定めた。まことに社稷を安んじる臣といえよう。程は閩の辺境で勝報を上げ、武功があったが、毘陵(常州)の役では義において和衷(協調)を欠き、軍を敗って国を辱めた。前後の評価がなんと異なることか。堅は廟堂にあって雍容とし、政治には要諦があった。虎子は虞・虢の憂い(隣国滅亡が自国に及ぶ憂い)を懐き、唇歯の論(利害を共にする関係の論)を進めた。時勢はいにしえとやや異なるとはいえ、その説はまことに動かしがたいものである。