朱行先の墓誌銘作者
- 謝鶚、南康の人であり、唐の進士に挙げられた。幼いころ溪で沐浴する夢を見て、ある人物が珠一器を彼に贈って「これを呑めば聡明になる」と言った。鶚は細珠六十余顆を呑み、成長するにつれ詩に巧みとなり、文名があった。武肅王に仕えて(闕)……宝大の時代、朱行先が勤王の事に殉じて没すると、鶚がその墓誌銘を撰した。文章は雅で内容も豊かであり、当時大いに推賞された。銘に曰く、「挺(ぬき)んでて英特に生まれ、遠く奇なる形あり。素より豹の如き略を蘊み、能く武経を精しくす。戈と鋋(ほこ)を再び挙げ、氛祲(不祥の気)を廓(はら)い清め、これより勇は冠たり、大いに家声を播す。盛んなる績既に彰らかに、威名遂に振るい、静かに謙敬を守り、動いては逆順を知る。惟だこの侯王、その忠信を賞し、殊功あらずんば、いずくんぞ劇鎮(要地の鎮)に遷らんや。呉を匡(ただ)す志は大きく、越を佐(たす)くる功は全し。一人(君主)は意を注ぎ、百辟(諸侯)は賢を推す。まさに剖竹(地方官への任命)に務め、重き権を分かつべし。誰か謂わん梁木(棟梁の材)が、俄かに逝く川に随わんとは。生きては忠臣となり、没しては遺策を留む。眷(かえりみ)るあの令嗣(立派な子孫)、恭しく帝の恵沢を承く。丹旐(葬送の旗)はここに引かれ、玄宮(墓所)はすでに開かれたり。万歳千秋、芳しき塵は永く隔たらん」と。