十国春秋卷八十五 呉越九 列傳 黄晟

明州十八年の忠順

  • 黄晟、明州鄞の人である。初め望海鎮に応募したが、鎮では体格の魁梧な者を採用の基準としており、晟は背が低く容貌も醜かったため選に漏れ、鎮の都虞候である林膺に隷属することとなった。ほどなく密かに本郷に戻り、衆を募って平嘉埭に拠った。時に権知州の楊僎が召してこれを平嘉浦将に任じ、その配下は千余人に及んだ。これより先、劉漢宏は台州の賊婁文に明州の事を知らせていたが、文は僎に敗れ、その党の杜宗が寧海鎮より郷民を率いて奉化に屯した。晟は平嘉埭より部隊を率いてこれを撃ち、多くを斬獲した。しばらくして、餘姚の鎮将である相嘉が越州を侵し、董昌がこれを防いだが利あらず、明州刺史の鍾季文が晟に檄を飛ばして兵を統率させ、嘉を攻めてこれを殺させた。昌は賊平定の功により奏して晟に左散騎常侍・浙東道東西副指揮使を授けた。季文が没すると、晟はそのまま本州刺史となった。晟は大いに士を礼遇することを尊び、前進士の陳鼎・羊紹素を賓客に招いたので、江東の儒学の徒の多くが彼を頼った。昌が僭号し改元すると、晟もまた書を送って諫めた。武肅王が挙兵するに及んで、晟は部衆を率いてこれに応じた。在任十八年で没した。時に天宝二年であった。遺言で子を後嗣に立てることを求めず、府庫に蓄えたものはことごとく「送使」と題しており、その忠順ぶりはこのようであった。