董昌の名簿と危機の回避
- 馬綽、餘杭の人である。人柄は淳直で、常に忠節を自らの誇りとしていた。初め武肅王とともに董昌に仕えていた。昌はかつて王に部隊の点検をさせ、その名簿をなくしてしまったが、王が順を追ってこれを唱えると、存亡・健悴(現在の兵の状況)のことごとくに誤りがなかった。綽は密かに王に語って言った、「老爺(董昌)はもとから猜疑心が強く、公の記憶の見事さに驚いて、必ず害を謀るでしょう」と。そこで白紙数枚をわざと差し出して、軍籍を代えたかのように見せかけた。王はその意を深く感謝した。それによって従妹を綽に嫁がせた。
- 綽はその後、昌に随い越州にいたが、昌が僭号すると、綽は家を捨てて(王のもとに)逃げ帰った。奏して諸城都指揮使を授かった。徐及・許再思の乱では、綽は城門の懸鎖を切って開ける功があった。武肅王はただちに文穆王に命じて綽の娘を娶らせ、これが恭穆夫人である。綽は官を累進して鎮東軍節度副使・両浙行軍司馬・睦州刺史となり、その後さらに雄武軍節度使に進み、検校太傅・同平章事となった。天宝十一年、検校太尉を加えられた。しばらくして没した。享年七十一。