十国春秋卷七十四 楚八 列傳 呉宏

死を賭して長沙を守る

  • 呉宏・楊滌はともに廃王希廣の将であった。宏は歩軍指揮使となり、滌は小門使となったが、軍中では素より顕著な名はなかった。朗兵が長沙を攻めるのが急を告げると、二人は互いに語り合って言った、「死を以て国に報いるのはまさにこの時である」。各々兵を引いて出撃した。
  • 宏は清泰門を出て陣を掠めたが不利であった。滌は大斧を執って長楽を出、大声で戦いを求めて叫んで言った、「殺しに来い、我が命を畢える日である」。辰の刻から午の刻まで、凡そ数十回往復し、朗兵はやや退いた。滌がまさに勇を鼓して兵を進めようとしたところ、許可瓊らは異心があり、軍を按じて救わなかった。しばらくして滌の士卒は飢え疲れ、退いて蓐食(急ぎ座って食事すること)に就いた。可瓊は全軍を挙げて投降した。まもなく長沙は陥落した。
  • 将吏は共に恭孝王のもとに詣でて賀を謁したが、宏は戦いの血が袖に濺(そそ)ぎ染まったまま、まっすぐに入って恭孝王に見(まみ)えて言った、「不幸にも許可瓊に誤られましたが、今日死ぬことは先王に対して恥じるところはありません」。折しも彭師暠もまた王の前で死を請うた。恭孝王は嘆じて言った、「皆、鉄石のような人物である」。貸してこれを殺さなかった。滌はついに師(軍)に抗したことで、朗人に臠食(切り刻んで食われる)された。左右の者で痛まない者はなかった。