先人を辱めぬと恭孝王に答える
- 王贇は、都指揮の環の子である。累進して岳州刺史となった。恭孝王が兵を引いて廃王希廣を攻めると、廃王は贇を都部署戦棹指揮使とし、僕射河において朗兵を大いに破った。
- 翌年、朗兵が岳州に至ると、贇は城を堅めて戦わなかった。恭孝王は贇を呼んで言った、「公は馬氏の臣ではないのか。私に事えず異国に事えようとするのか。人の臣となりながら二心を懐くのは、どうしてその先人を辱めないことがあろうか」。贇は言った、「亡父は先王のために六たび淮南の兵を破りました。今、大王兄弟は相容れず、密かに恐れるに、淮南が坐してその敝(弊害・すきに乗じる利益)を収めるのではないかということです。いったんこの身を淮南に臣とすれば、まことに先人を辱めるだけです。願わくば大王は長沙に入って同気を傷つけないでください。私はどうしてあえて節を尽くさず二心を持つことがありましょうか」。恭孝王は慙じる色があり、急いで兵を引いて去った。
- まもなく永州刺史に改められた。国が亡んで唐に帰すると、湖南の諸将佐は皆次第に入朝したが、贇だけは遷延(ぐずぐずと引き延ばし)て後から至った。唐の中主は心中これを善しとせず、毒殺した。