十国春秋卷七十三 楚七 列傳 劉勍

溪州平定の功

  • 劉勍は、史書がその出身郡を失っている。累進して静江指揮使となった。文昭王の時、溪州刺史の彭仕然が蛮兵を引き入れて辰・澧二州を侵寇した。勍は廖匡齊とともに兵を率いて溪州を討った。
  • 仕然は逃げて山砦に拠り守ったが、険しい岩は切り立って急には登れなかった。勍は梯や桟道を作らせてこれを三重に囲んだ。匡齊は力戦して死んだが、勍はどうしようもないと見て、風に乗じて火を投じ、続けて火矢でその陣営と砦を焼いた。仕然は窮迫して溪錦の万山中に逃げ込んだ。勍はさらに火を放って山を赤裸にした。
  • 仕然はようやく子の師暠を遣わして款を送った。勍は軍を班(かえ)し長沙に戻った。王はそこで溪州を便利な地に遷し、仕然を刺史に任じ、銅柱を立てて後世に表した。勍は錦州刺史に改められた。この役において、蛮を平定した功は勍を第一とした。