十国春秋卷七十二 楚六 列傳 何致雍

何致雍

  • 何致雍は商人の子である。幼くして英俊爽やかで学を好んだ。かつて叔父(従父)に従って皖口に舟を泊めた際、従父は夢で、官吏のような姿で馬に乗り車蓋をつけた者が何度も岸辺を往来し、舟中の人物の名簿を記録するのを見た。やがて一人が後ろから呼んで言った、「何僕射がここにいる、うっかり驚かせるな」。応じる者が「はい」と答え、あえて驚かせなかった。
  • やがて従父は目覚め、舟中の人を尋ねたが、何という姓の者は一人もいなかった。翌日、風波が大いに起こり、周りの舟の多くが転覆・沈没したが、致雍の舟だけは無事であった。従父は致雍に言った、「我が家は代々貧賎であり、私もまた老いた。何僕射とはきっとお前のことだろう。よく自愛せよ」。
  • まもなく致雍は武穆王に知遇を受け、節度判官として出仕した。王が開国するに及び、致雍を戸部侍郎・翰林学士に任じた。文昭王が武安節度使となると、また致雍を判官に改めた。官を重ねて検校僕射に至り、官にあって卒した。ついに皖口の神の言葉の通りになったのである。
  • 致雍は文章に長け、著した天策寺碑銘は楚の人が常に称え語り継いだ。