希杲
- 希杲は武穆王の第(欠)子である。文昭王の時、官を累ねて静江節度使・同平章事に至った。希杲はよい政治を行っていたが、監軍の裴仁煦がしばしばその短所を王に讒言し、さらに希杲が民心を得て「尾大の患い」となるだろうと言った。王の心は動揺した。
- 折しも南漢が蒙州・桂州の二州を侵したので、文昭王は自ら兵を率いて桂州に赴いた。希杲は不安を感じ、母の華夫人に王子全義嶺を出迎えさせて謝罪させ、「希杲の治政に不手際があったために外敵が国境に入り、殿下に自ら険を渉らせることになったのは、妾の罪です。どうか封邑を削り、掖庭を掃除する身分に落とし、希杲の罪を贖わせてください」と言わせた。王は「私は久しく希杲に会っておらず、その治績が優れていると聞いて、それで様子を見に来ただけだ。他意はない」と答えた。
- しばらくして南漢の兵は退いた。希杲は朗州の知事に転じさせられたが、なお静江の節鎮を領させたのは以前どおりであった。長らくして侍中を加えられた。十年の後、希杲は再び朗州の人々の心を得たが、文昭王はしばしば人をやってその動静をうかがわせた。希杲はますます恐れ、病と称して都へ帰ることを求めたが許されなかった。まもなく医者を遣わして病を診させたが、それに乗じて毒殺した。朗州の人々はこれを悲しまない者はなかった。