十国春秋卷六十六 南漢九 列傳 張遇賢

張遇賢

  • 張遇賢は禎州博羅県の小吏である。県の刻杉鎮に神が民家に降り、語る禍福がそのつど験があった。遇賢がそこに赴いて祈ると、そのまま留まって奉事すること甚だ謹んだ。
  • たまたま群盗が大いに起こり、互いに統一する者がなかったので、共に神に祈ったところ、神は大いに「張遇賢は第十六羅漢であり、汝らの主となるべきである」と告げた。そこで共に遇賢を推して中天八国王とし、循州を攻め陥落させ、永楽と改元し、百官を署置し、みな絳衣を着せた。
  • 遇賢は年少でほかに方略がなく、賊の将帥がそれぞれ都合次第に州県を剽掠し、その進退を報告するのみであった。
  • 殤帝は越王の弘昌・循王の弘杲を遣わしてこれを討たせたが、戦いに利あらず、遇賢に銭帛館で包囲された。裨将の万景忻・陳道庠は力戦して二王を挟んで囲みを潰して逃げた。時に光天元年のことである。
  • まもなく遇賢はしばしば州兵に窮迫させられ、再び神に告げ祈ると、神は「嶺を越えて虔州を取れば、必ず大事を成すであろう」と言った。遇賢はそこで南康を襲った。
  • 唐の百勝軍節度使、賈浩は初めこれを軽んじて備えをしなかったが、まもなく諸州県が相次いで陥落したため、浩は戒厳して城を守った。遇賢は白雲洞に拠って宮室・営署を造り、他の盗賊に四方から蜂起させ攻め略奪させることが久しく続いた。
  • 唐の通事中書舎人の辺鎬と洪州屯営都虞候の厳思(一に「厳思礼」に作る)が軍を率いて援けに出ると、遇賢はついに大敗し、再び神に告げたが神はもはや語らなかった。そこで営を棄てて密かに逃げた。
  • 賊将の李台はその神が無いことを知り、遇賢及びその副の黄伯雄、謀主の僧景全を捕らえて唐に送り、ともに建康の市で斬られた。

史論

  • 論じて言う。呉の大帝の時、羅陽に王表と自称する者がいて、言語・飲食は概ね人と同じであったが、その姿を見せなかった。遇賢の事を見るに、何とこれに似ていることか。
  • 要するに、盛世にはその鬼は霊験を示さず、衰えた末世には神異が雑然と現れるものである。呉主のような英略の主でさえなお惑わされることを免れなかったのだから、まして盗賊の輩においてをや。
  • これを明らかにすれば、宣尼(孔子)が怪力乱神を語らなかった旨を悟ることができよう。