十国春秋卷六十五 南漢八 列傳 李廷珙

李廷珙

  • 李廷珙は連州の人である。父の處顔は博学で文を能くし、後唐の明宗に仕えて功を重ね、武安節度幕府で文翰を掌った。
  • 處顔が没したとき、廷珙はまだ襁褓(むつき)の中にあり、母の家に寄食した。幼くして岐嶷(聡明で人並外れて)不群であり、その舅はこれを器(うつわ)として「これは千里の駒である」と評した。
  • 乾和年間に番禺簿に任じられた。後主が即位した当初、抜擢されて土軍知兵馬使となった。この時、忠良の者が屠戮されるのを見て、廷珙は国が必ず亡びるであろうと知った。
  • 大寶九年四月、宋に降り、郴州指揮使、検校工部尚書兼御史大夫、春州刺史を授けられた。翌年、嶺を平定する表策を献じた。
  • 潘美の南侵に及んで、廷珙は宋軍の嚮導となり、抜擢されて広西総管招討使となった。後に論功されて、宋の太祖はその居所を「奉化里」と改めさせ、官を重ねて刑部尚書に至った。