十国春秋卷五十七 後蜀十 列傳 彭曉

要約

彭曉は字を秀川といい、永康の人。後蜀の広政の初め、朝散郎守尚書祠部員外郎を授けられ紫金魚袋を賜った。修煉養生の道をよくし、別号を真一子といった。

魏伯陽の『参同契』を上巻四十章・中巻三十八章・下巻十二章の九十章に分け、これに注をつけて火候の九転に応じさせた。余った『鼎器歌』一篇は真鉛得一に応じさせ、また八環の図を作って『明鏡図』と称した。今に『参同契分章通真義』三巻、『明鏡図訣』一巻が世に行われている。

その後序には、参同契の「参」は雑、「同」は通、「契」は合の意であり、諸々の丹経の理と通じ契合することを説いた上で、金液還丹を修めるには天地混元の根を尋ね、陰陽分擘の象を究め、水火相克・金水相生を夫妻父子になぞらえるべきことが述べられる。日中の烏は陽が陰を含み、月中の兎は陰が陽を含むという陰陽の理から説き起こし、天地の根・陰陽の象・動静の循い・数の知り・刻漏・進退・龍虎の分かちに至る修煉の順序、内外の法象・壇竈・鼎室胞胎・爻象など、備えるべき条件を一つも欠いてはならないと説く。志士は声色・嗜欲・名利を絶ち、仙友と結び昼夜怠りなく修めるべきだとし、陰真君の言葉を引く。時に孟蜀の広政十年九月八日、昌利化飛鶴山にてこの序を叙したと末尾に記されている。

現代語訳全文

道術と著作

  • 彭曉は字を秀川といい、永康の人である。広政の初め朝散郎守尚書祠部員外郎を授けられ、紫金魚袋を賜った。修煉養生の道を善くし、別号を真一子といった。
  • つねに魏伯陽の『参同契』を分けて九十章とし、これに注をつけて火候の九転に応じさせた(上巻は四十章に分け、中巻は三十八章に分け、下巻は十二章に分けた)。
  • 余った『鼎器歌』一篇は真鉛得一に応じさせ、また八環の図を作って『明鏡図』と称した。今に『参同契分章通真義』三巻、『明鏡図訣』一巻が世に行われている。