医術と弁舌
- 虞洮は蜀の人で、霊素の家の言(医術・道術)を習い、名があった。高祖が西川を鎮めていたとき、董璋が長らく渇病を患い、押牙李彦を遣わして医を求めさせたので、高祖は洮を遣わせた。
- 洮が梓州に至ると、璋は「私の病は百医を経ても少しも癒えない、なぜか」と言った。洮は「あなたの病は、ただ渇を癒す漿を渇望しているのではなく、実は士(人材)を渇望しているのです。士を得れば薬を用いずして愈えるでしょう」と言った。璋は大いに喜んだ。当時、璋には東川を拠点にしようとする志があったので、洮はことさらこの言でそれを誂った(誘い試した)のだが、璋はそれに気づかなかった。
- 洮はさらに言った、「洮が聞くところでは、天には六気があり、降って六淫となり、淫は六疾を生じて六腑を害します。陰陽風雨晦明がそれであり、それゆえ六淫はこれに随います。六疾とは寒熱が腹に入り心に感ずるものであり、それゆえ六腑はこれに随います。ゆえに心は離宮となり、腎は水蔵となり、晦明・労疫より百疾が生じます。おおよそ視聴が煩に至れば、みな損なうところがあります。心が煩わされれば事を乱し、機を変じ、兵を失い、(心が)煩わされれば反します。五音が煩わされれば耳を損ない、五色が煩わされれば目を損ない、滋味が煩わされれば疾を生じ、男女が煩わされれば寿を減らします。古の男子でこれを戒めない者はありませんでした。あなたは今日万思あり、時に万機あり、外に楽淫し、内に女淫する、渇の療し難きはこれによるのではありませんか。」璋は善しと称え、これを帰らせた。