十国春秋卷五十六 後蜀九 列傳 姜道隠

生涯と画業

  • 姜道隠は綿竹山中に居し、談論に事とせず、人と往来しなかった。冠帯して跪き揖することを「掻頭」と言い、人々はみなこれを指して「野人」と呼び、道隠はそれによって「野人」を自らの名とした。
  • 平生、荘子・老子の家言を研究し、性として龍を描くことを好んだ。興が至ればすなわち百尺の状を描き、意のままに筆を揮い、少しでも意に愜わなければただちにこれを抹し、千余軀を下らなかった。やがて雲気が磅礴し、勢いは蜿蜒とするようで、そこで筆を擲って手を撫し、自ら怡逸とした。その適意なることはこのようであった。
  • 宰相李昊はつねにその人となりを称えた。著した『筆訣』三巻が世に伝わる。