十国春秋卷五十 後蜀三 列傳 褒王玄珏
褒王玄珏
玄珏は後主の次子である。初め褒王に封じられ、玄喆と同日に封拝され、なお検校太保となった。幼くして端敏、後主に侍って双箭を射て的に連中し、後主はこれを奇として銭三十万を賜った。この時、玄珏はまさに学に就いていた。起居舎人陳鄂を教授とし、この時に至って自ら願い出て賜銭を鄂に与えることを願った。後主はこれを嘉してこれを許した。鄂は常に唐の李澣の『蒙求』・高測の『韻対』に倣って『四庫韻対』四十巻を作ってこれを献じ、玄珏はますますこれを賞した。広政二十三年、玄珏は保寧軍節度使を領し、久しくして検校太傅を加えられた。宋に帰し千牛衛上将軍となった。乾徳五年、右神武統軍に遷り玄喆に代わって金吾衛の仗を判じた。太平興国九年、出でて宋・曹・兗・鄆の都巡検となり、また右屯衛上将軍に改められた。淳化元年四月、再び右神武統軍となり、六月、出でて滑州を知った。三年、薨じた。