十国春秋卷四十五 前蜀十一 列傳 何奎

生涯

  • 何奎は閬州の人である。いかなる術を用いているかは分からないが、事を言えばしばしば的中し、当時の人は彼を「何見鬼」と呼んだ。公卿や近習・貴人はみな彼を慕った。
  • 成都の銀工に白癩(白い癩病)を患う者があり、二代にわたって伝わっていた。何奎は「あなたの苦しみの原因は私にはもう分かっている。あなたの家の仏幢(仏塔の幡)や罘罳(透かし飾り)は、かつて異なる時に手に入れた鬼を祀るための古物である。冥界の魂が寄る辺なく祟りをなしているだけだ。ただちにこれを取り去れば、病は害を及ぼさなくなる」と言った。銀工は帰ってすぐにこれを撤去させたところ、病は本当に治った。その他にも奇怪なほど的中したことは数え切れない。
  • 何奎は仕官を求めることに汲々とせず、晩年になって術によって用いられ、布衣(無位無官)から金紫を賜り、興元少尹に任じられたが、任地に赴かなかった。その心は豁如(すっきり)として頓着しなかった。ある夜、あらかじめ自分の死期を刻限し、急いで閬州に帰って卒した。
  • また夾江の孫䧺という者があり、人々は「孫卯齋」と呼んだ。事を言い当てることも何奎に次いだ。後主が唐に帰順した時、宦者の宋愈昭および将軍数人が、洛陽へ行くことの吉凶を孫䧺に尋ねたところ、孫䧺は俯いて「諸官よ、これを記憶しておかれよ。この行きは災いもなく福もない。ただ野狐泉に行き着けば、新旧の使頭(一行を率いる者)はいずれも見えなくなるだろう」と言った。後主が秦州の禍に罹り、続いて荘宗もまた鄴都の変に遭ったことを聞くに及んで、まさにその地であったことが分かり、すべて孫䧺の言葉のとおりであった。