張雲
- 張雲は唐安の人で、朝廷にあっては正論を曲げず、いたずらに世に阿ることをせず、官を重ねて右補闕に至った。咸康元年、彗星が井宿・鬼宿の位置に現れたので、司天(天文官)は徳を修めて大災を消すべきだと言い、後主は玉局化に道場を設けてこれを祓うよう詔した。雲は上疏して「百姓の怨みの気が天に通じ、そのために彗星となって結ばれたのです。彗星とは古きを除いて新しきを布くという意味であり、これはまさしく亡国の兆しです。祈祷や祓いで免れられるものではありません」と言った。後主は怒って雲を秦州に流した。雲は直言をはばからず、常に自らを朱雲になぞらえていたので、権勢を持つ者たちの多くが彼を妬んだ。宣徽使の景潤澄はかつて彼に「昔、朱雲は馬を斬るための剣を求めて張禹を腰斬しようとしたが、今、尚方(宮中の工房)にはただ鶏を裂く刀があるだけだ。卿はこれを使いたいか」と言った。雲は「鶏を裂く刀は小さいとはいえ、それでも群れなす犬を斬ることはできましょう」と答えた。潤澄はこれを恨み、この時に至って雲が国を誹謗したと奏上し、ついに貶謫の憂き目にあった。雲は病がちであり、臨邛に至って没した。