蔣詔恭
- 蔣詔恭は蘇州の人で、生まれつき剛直で並外れた才があった。永平年間、流れ流れて西川に入り、詩歌を詠むたびに世を諷刺する言葉を交えた。高祖の晩年、臣僚の多くが権勢を尊び、驕り高ぶって節度がなかったので、詔恭は詩を作ってこれを諷諫した。高祖はその詩を見て大いに喜び、「敢えて言う士である」と言い、特に名山県令を授けた。また政務にも巧みで、銀と緋の官服を賜った(案ずるに、『鑑戒録』には「蔣貽恭はもと江淮の人で、世に媚びへつらうことなく、人を詠ずる才があった。孟氏が蜀を制するや、遺賢を捜し求め、蔣もまた時に遇ってしばしば用いられた」とあり、『唐詩紀事』には「蔣貽恭は江淮の人で、唐末に蜀に入り、諷刺に巧みで、蜀人はこれを畏れた。孟氏の時に官のまま没し、県令・県丞にとどまった」とある。また『北夢瑣言』には「蔣貽恭は嘲弄の詩を好み、しばしばこれによって笞打ちの罰を受けた。近ごろ聞くところでは、官は令・佐に至って没したという」とある。詔恭がすなわち貽恭であって、文字の書き方が誤って伝わったものであろうか、あるいは別に貽恭という人物がいたのか、判断がつかぬまま存疑としておく)。