劉隱辭
- 劉隱辭は(欠字)の人である。高祖に仕え、官を重ねて員外郎に至った。王宗憲が寧江を鎮していたとき、隱辭を招いて節度掌書記とした。宗憲は武人から身を起こしたため、ひどく苛斂誅求に努め、多くの横暴を行った。隱辭はたびたび諫言したが、宗憲はひどく不快に思い、賓客としての礼を失い、将吏の前で彼を罵倒するようになった。隱辭は職を退くことを求めたが許されず、そこで白鹽山・灔澦堆の詩を詠んでこれを風刺した。
- 宗憲はこれを聞いて怒りを発した。ある日、江のほとりで酒に酔い、白鹽山を仰ぎ見、灔澦堆を横目に見ながら言った。「まさしく愚か者を打ち破ってやろう、ここで死なせてやる。」そこで屈強な兵に命じて隱辭を席から引きずり出させ、手足を砂の上に縛りつけて日に晒させた。護軍や賓幕(幕僚)があれこれと救おうとしたが叶わなかった。宗憲は側近を顧みて「私が飲み終えたら、水に投げ込め」と言った。隱辭は声を張り上げて言った。「昔、鸚鵡洲は禰処士(禰衡)を溺れさせるに至り、今、灔澦堆は劉隱辭を害しようとしている。私は禰衡に及ばぬとしても、あなたはどうして黄祖と同じことをなさろうとするのか。天子が賢良を塗炭の苦しみに遭わせることをよしとせず、ただ名を留めることができれば、死んでも本望である。」宗憲の怒りは次第に解け、しばらくしてこれを放免した。翌日、幕僚たちが宗憲に取りなして隱辭を呼んで謝罪させようとしたが、隱辭はついに病と称して逃げ帰った。
- (白鹽山の詩に言う。「瞿塘一峡の煙を占め尽くし、危峰は遥かに衆峰の前に出づ。すべて頑なで愚かなる者が浮世に肩をそびやかし、半天に寄りかかって高ぶるゆえのこと。樹あればただ鳥雀を招くを知るのみ、雲なければ神仙を留めるも容易ならず。たとえ高さ千丈の険しさがあろうとも、平らかな数畝の田に及ぼうか。」灔澦堆の詩に言う。「灧澦は崔嵬として百万年、年々出没していつ止むとも知れぬ。寸土の芝草さえ生やさぬのに、当の江では巨舟を覆すことができる。何事もないのに千丈の波を巻き起こし、人にとっては常に一堆の愁いとなる。すべては磻渓の石のようでないゆえに、漁翁に釣り鈎を下ろさせることもできぬ。」)