十国春秋卷四十二 列傳 張扶
張扶(子持)
- 張扶は字を子持といい、広都の人である。博学で文章に巧みであった。武成の初め、幕府の上奏文・書状・檄文はすべて扶に任せて起草させ、官は兵部郎中に至った。この時、王宗佶は高祖の養子であることを頼みにして驕り高ぶり法を犯していた。ある日、高祖が群臣を宴に招き、側近に「韓信のような人物を一人二人得てこれを将とすれば、中原も平定するに足らぬだろう」と言うと、宗佶は跪いて「臣は不才ですが、自ら省みれば鞭一本で天下を取れましょう」と言った。扶が進み出て「陛下は雄才大略をお持ちでありながら、なお岐・隴のわずかな土地さえ得られません。宗佶は小僧の身で狂妄なだけです。どうか陛下は中原のことを気にとめられませんように」と言った。宗佶は大いに恥じ恨み、ひそかに料理人に命じて堇(毒草)を盛って扶を毒殺させた。後に宗佶が死ぬと、扶に諫議大夫を追贈した。