十国春秋卷四十 列傳 李稠

要約

李稠は京兆の人を先祖とし、父の李逢はかつて唐に仕えて左衛兵曹参軍を務めた人物であった。稠自身は初め梁(朱全忠の後梁)に仕官して商州刺史の職に就いていたが、その後まもなく蜀の地へ移り、高祖王建が国を開くにあたってその陣営に加わった。開国の事業に参画した功により佐命の功臣の一人に数えられ、官位は左衛将軍にまで進んだ。しかし稠自身の具体的な事蹟や人物像、事跡の詳細については後世にほとんど詳しく伝わっておらず、簡潔な記述にとどまっている。

巻末の史論はこう述べている。晉暉をはじめとする高祖に従った諸将は、いずれもその時代に主君を助けて国家の腹心・爪牙となった者たちであったが、その半ばは蜀が安定し太平を迎える盛時を見ることなく世を去った。これもまた人の力の及ばぬ運命というべきものであろう。高祖に従った旧将にはなお、奉礼の官にあった劉璋、田威、張全真、蓋獲、張行立、韓在らの名も伝わっているが、彼らの人となりや具体的な事蹟については記録が乏しく詳しく知ることができないため、著者はあえて本書に多くを載せることをせず、簡略に留めるにとどめたと附記している。

現代語訳全文

李稠

  • 李稠は、その先祖は京兆の人で、父の李逢はもと唐の左衛兵曹参軍であった。稠は初め梁に仕えて商州刺史となったが、まもなく蜀に来て、高祖の開国に会し、佐命の功臣に列し、官は左衛将軍に至った。

史論

  • 論じて言う。晉暉らの諸人はみな一時に君主に従って国家の腹心爪牙となったが、その半ばは太平の盛時を見るに至らなかった。これも運命というものである。高祖の旧将にはなお奉礼の劉璋、田威、張全真、蓋獲、張行立、韓在らがいるが、その人となりや事蹟が伝わっておらず、ここには載せない。