張琳
- 張琳は許州の人である。唐末、眉州刺史となり、通済堰を修めて田一万五千頃を灌漑し、民はその恩恵を受けた。人々は歌って、「前に章仇あり、後に張公あり。水利を疏らし決すれば、粳稲豊穣なり。南陽の杜詩も、これに並ぶことはできぬ。なぜ彼を天に代わる仕事に用いぬのか」と言った。まもなく高祖に仕え、永平節度判官となった。大順の初め、卭南招安使を領し、卭州で刺史毛湘が殺されて降ってくると、琳を留後の代行とし、城壁や濠を修復し、異民族(彞・獠)を撫安し、蜀・雅の地の経営には琳の功が最も多かった。まもなく節度副使を奏授され、兵五万を率いて東川を攻め、東川平定の功を論じられて武信軍節度使に累進したが、まもなく官に在ったまま卒した。武成元年、高祖が皇帝に即位すると、詔して言った。「張琳は剛直な操を持ち、才知と謀略は縦横無尽で、今日の大業はこの人の美しい功績によって成った。朝廷に仕える禄を享けぬまま、にわかに手を失う(=死去する)悲しみを迎え、前の功を思うにつけ常に厚く報いたいと思う。よろしく太尉を追贈し、もって幽魂に報いよ。その嗣子にはさらに正官を加え、あわせて印綬を賜うべし。」