十国春秋卷三十八 前蜀四 列傳 信王宗傑

信王宗傑

  • 宗傑は髙祖の第八子(一に第七子とも)で、喬妃がその母である。武成三年、信王に封じられた。元膺の死後、潘炕はしばしば太子を立てることを請うたが、髙祖は宗傑が諸子の中で最も才があり賢いとして、頗るこれを立てようとした。たまたま順聖太后が寵を得て、後主がついに諸兄を越えて立てられた。光天元年、宗傑はしばしば時政を陳べ、髙祖はその才を賢として密かに廃立の意を懐いたが、まもなく急死し、髙祖は深くこれを疑った。